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![]() 世代を超えて知ってほしい『元禄忠臣蔵』の心 忠臣蔵の本当の真相を知りたい 「もし、タイムマシンがあったなら、まず、忠臣蔵の真相を知りたいですね」という坂東三津五郎さん。「なぜ刃傷をしたのか。病気の発作か、伝えられるようないやがらせか、塩田の権利争いか。諸説ありますが、いずれにしても大石内蔵助がどんな人物だったのか、松の廊下で何があったのか、忠臣蔵をナマで見たいと思いますね」 国立劇場開場40周年記念の『元禄忠臣蔵』、12月の第三部に出演される三津五郎さんは、第三幕『仙石屋敷』で仙石伯耆守 (せんごくほうきのかみ) を演じられます。『仙石屋敷』は、通し上演でないとなかなか見られません。 「仙石伯耆守は幕府の大目付で、討ち入りを果たした赤穂浪士の事情聴取を行います。事件の真相を、お客様もいっしょに読み解く楽しみがありますね」と三津五郎さん。ほとんど座ったままのセリフ劇で、史実の中に人間ドラマを描く真山青果
(まやませいか) 作『元禄忠臣蔵』の醍醐味が凝縮された場です。「お互いの秘めた気持ちを思いやる心が、このお芝居の感動するところでもあるでしょう」 昭和の港区で育って 三津五郎さんは、一家揃って港区育ちなのだそうです。「父も母も港区生まれの港区育ち。ぼくが生まれたのは麹町ですけど、1歳頃から27歳で結婚するまで、今の骨董通りで暮らしていました。子供の頃は商店街もあって、昔ながらのあたたかいおつきあいがありました」 育ったご実家は根津美術館の真裏でした。「うちの二階からは、根津美術館の庭が借景のように見えて、雪の日なんかほんとに綺麗でしたよ。お吸い物に、山椒を採ってきてといわれて、塀を乗り越えて根津さんのお庭から採ってきたり。昆虫採集には苦労しなかったね。トンボ、セミ、カブト虫もいたし、ヘビの脱け殻もあった。モズが飛んできたり、カラスウリや木蓮が咲いたり。ほんとに幸せだったですね」。東京の真ん中にも豊かな自然があふれていた時代だったのです。 「それで、謝りたいと思っていることがあるんですよ」と姿勢を正した三津五郎さん。 「小学校時代は、みんなで根津さんの庭を走り回って遊んでいたのですが、一番おもしろかったのが2B弾。シュッと擦ると煙がでて、数秒後にバーンと爆発する。それにドロ団子をつけて戦争ごっこの手榴弾にしてたんです。根津さんのお庭では、土日になるとよくお茶会を開催されていたのですが、和敬清寂 (わけいせいじゃく) をお楽しみになっているその最中、コンバットよろしく泥だらけの子供たちが忍んできて、エイヤッと泥団子を投げる…静かな茶室の中でバーン! 庭師のおじさんが飛んできて怒ってね、それは怒るよね(笑)。今思うと、ほんとうに申し訳ないことをした…と。根津美術館さんには謝ったんですけど、お茶会をなさっていた方々にもお詫びしたいですね」 三津五郎さんは野球がお好きで、広場を探して、旧日赤病院の空き地や、都電の青山車庫(現在の青山劇場)、高輪の方にまで足を延ばしていたそうです。ヤンチャで腕白な子供時代の楽しいお話に、懐かしい昭和の風景が甦ってきました。 |
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