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ふれあいコラム

今、話題の人物をクローズアップ!
能楽師 辰巳 満次郎(たつみ まんじろう)さん

能楽師

辰巳 満次郎 さん

奥深い能の世界に発表会と公演で親しんで

ユネスコの無形文化遺産に登録されている日本の能楽。その魅力を身近に体験できる赤坂区民センター「赤坂能『巻絹』」の公演とワークショップの発表会が、12月12日に開催されます。指導と公演を担当されるシテ方宝生流の能楽師・辰巳満次郎さんに、公演の見どころ等を伺いました。

昨年に引き続き2回目のワークショップですね。

能に触れてみたい方にとって『赤坂能』のワークショップは平日の夕方開催なので、お勤めの方も参加しやすく貴重だと思います。しかも、ただ体験するだけでなく、昨年は6回、今年は8回の稽古をしてから舞台で発表します。そこまで行うワークショップは本当に稀だと思いますね。
港区の保育園にも、謡(うたい)を教えに行っています。子どもたちは、先生が一句謡ったら素直にマネして一句。それを繰り返して一曲覚える昔ながらの“口伝”です。僕らも小さい頃、父からそうやって習ったものです。子どもたちは着物姿の私を「侍がきたー」と待っていてくれて、可愛いですね。今年も発表会が楽しみです。

辰巳さんの本公演『巻絹』も楽しみです。見どころは?

実はこの演目は“許し”がテーマなんですよ。よく解説されているのは“和歌の徳”。和歌は、万葉集等をみると身分の上下に関係なく良い歌が載せられ、平等で素晴らしい文化です。この時代は国も和歌を推奨していて、そういう時代に能も盛んになったので、能には和歌がよく出てきます。そうした背景がある中、この演目は和歌が命を助けるというお話です。あるとき帝がお告げの夢を見て、諸国から反物(巻絹)を千疋(せんびき/反物2反分の長さが1疋)集めて三熊野に奉納することになりました。ところが、都からの使者が、神に和歌を奉納していて遅刻し、怒った大臣に捕まえられます。そこに神が憑依した巫女があらわれ「縄を解いてやれ」と言うのです。日本の神様は姿が見えないので、よく巫女に乗り移ってあらわれます。巫女は「使者は神に和歌を捧げていたから遅れた」と言うのですが、大臣は「こんな下賤なヤツが和歌を詠めるわけがない」と神に逆らいます。巫女は、使者に奉納した和歌の上の句を詠ませ、巫女が正しく下の句を答えて、それで使者は許されます。その後、和歌の徳をたたえた舞を舞い、憑依した神にお帰りいただく神楽を舞います。巫女は次第に狂喜し、御幣を投げると神がスッと抜けて人間に戻る、という流れ。この巫女の美しい舞も見どころですが、隠されたテーマは“人を許す”こと。能にはそうした隠されたテーマが多いのです。昨年の演目『黒塚』は鬼女が主人公ですが、女を鬼にするのはたいてい男。男や権力者といったものを実は批判しています。また『土蜘蛛』に登場する土蜘蛛はバケモノで「退治してめでたし」となりますが、実はネイティブ(原住民)を表していて、大和朝廷がやってきて滅ぼされた。能を作ることで、犠牲になった民がいたことを語り継いでいるんですね。そんな具合に、能には隠されたテーマがたくさんあります。そうしたものも楽しんでいただけるといいですね。

本当に奥深いですね。とはいえ初心者には、能の鑑賞は敷居が高い気がします。鑑賞する際の心構えは?

よく、能を見ると寝てしまうという方がいらっしゃいますね。毎年、海外公演をしていますが、不思議なことに寝るのは日本人だけなんですよ。寝てしまうのは演じ手が上手い証拠で“心地よい”のかもしれませんが、もうひとつ、能は難しい、意味がわからないという固定観念のせいかもしれません。動きも歌舞伎等に比べれば静かですしね。たとえば悲しみの表現にしても、大声で泣けばわかりやすいですが、能ではただうつむくだけとか、目頭に袖を触れるといった所作で表します。それを見た方が、どれくらいの悲しみか、自由に想像していただいて良いのです。
これは、能が表現を削って演じるマイナスの芸能だから。祈りから発祥してきたものですが、仏教や神道といった宗教がなかった時代の祈りは、太陽や山等の森羅万象に捧げて謡ったり踊ったりすることでした。 それに、当時の日本人も能の言葉を皆がすべて理解していたわけではないんですよ。今のようにマイクもないし、野外でただ遠くから眺めていたわけですから。ですので、堅苦しく頭で理解しようとするのではなく、リラックスして自由に、五感で感じていただければ。ぜひ、想像力を働かせて楽しんで観てください。  それに、能はよく650年の歴史があるといわれますが、それは室町時代に世阿弥が完成させてからの歴史です。薪能等、1250年前からやっていたという記録も残されています。そんな大昔の日本人が見ていたものと同じものを今の私たちが楽しむ、タイムスリップ感覚も味わってください。また、長く続いてきただけあって、装束やそのデザイン、独特な摺り足、掛け声や演奏等、洗練された総合芸術ですから、ちょっと見ただけではわからなくても、見るたびに新しい発見があると思いますよ。ですから、毎年『赤坂能』に来ていただけるといいですね。

海外の方の方が寝ないというのは意外でした。

外国の方は、最初から言葉がわかりませんからね。それに、カルチャーショックもあるのでしょう。能は舞台に幕(カーテン)がありませんから、誰もいない舞台に役者が現れて、座って、舞って、演奏が終わるとまた静かに出ていって、最後に誰もいなくなる。そうした流れが期せずして新鮮な演出になっているのだと思います。能面は顔より小さく、演者の口のまわりが動くことでしゃべっているのがわかる。神秘的な印象もあるのでしょう。

辰巳さんは、世界中いろいろな国で公演をなさっていますね。

今年は、イスラエルのエルサレムで公演してきました。世界の聖地と呼ばれ、地球のへそと表現されたりもしていますが、昔から行きたかったんですよ。宗教史的にも複雑な土地で、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の3つが誕生した場所です。「嘆きの壁」のすぐ近くに、キリストが処刑された「ゴルゴダの丘」があって、本当に行かないとわからないことがたくさんありましたね。そういう場所で、平和の祈りを捧げてきました。
能というのは千年以上、平和のために祈ってきた芸能ですし、芸能と芸術と祈りは密接な繋がりがあります。もちろん、あちらは一神教ばかりですから、日本の宗教は理解されません。宗教が生まれる前から、長い間、平和のために祈りながら能をやってきたという精神で、エルサレムの地で「平和を祈るために舞います」ということで、古典の演目だけでなく台詞のない祈りの舞を創作して、見ていただきました。ちょうどイスラム国(ISIL)の事件等があって大変でしたが、なんとか無事行って、最終的には「嘆きの壁」の前で舞え、良かったと思っています。もちろんそれだけで平和になることはありませんが、日本の文化も平和目的のために訴えることができるということを、世界に、そして日本人にも知ってもらいたいですね。

一番印象に残っているのはどこの国ですか?

そうですね。能がユネスコの無形文化遺産に登録されてすぐ、エジプトの世界遺産のスフィンクスの前で『石橋(しゃっきょう) 連獅子』を舞うことができたのはうれしかったですが、印象に残っているのは、政治や経済で日本との関係が難しいと思われている国、ですね。文化庁の仕事で韓国に行ったときには、焼き肉は好きですが、日本のことを嫌いなのだろうと思って、あまり気が進まなかったのです。ところが、行ってみたら各会場は満席で、しかも7割が若い人たち。どこの国に行くときも、その国の言葉を特訓して自己紹介だけは現地の言葉でしゃべるようにしているのですが、満場の拍手で温かく迎えられました。日本語を勉強している人がたくさんいるし、日本の文化が好きだと知って、国と国の交わりや、両国が互いに理解しあうのに、文化は大きな力を持っているということを改めて自覚しました。

本当にそうだと思います。日々、そうした活動や公演にお忙しい辰巳さんですが、最後に仕事以外の趣味を教えてください。

昔は、スポーツや武道が大好きで、剣道、古武道、空手は有段だし、登山もよくやっていましたが、最近は、仕事が忙しくてほとんどなにもできませんね。仕事が趣味みたいな感じです。子どもの頃はイヤで逃げ回っていましたが、自分の仕事が大好きになったんですね。やりたいこともたくさんありますし…。
しいていうなら、駅弁でしょうか。実は僕は「住所・新幹線」と言われるくらい、新幹線に乗っていることが多いんです。平均して週に4日は乗っています。1日3食新幹線の駅弁となった時には、さすがにイヤになりかけましたが(笑)。なにしろ、どこの駅のどこのエリアに置いてある駅弁がどのくらい美味しいか、全部把握しているんですよ。時々、Facebookにも駅弁紀行みたいなものを投稿しますが、駅弁の写真をアップすると「いいね!」をすごくたくさんいただいて。本が出せるんじゃないかと思っているんですけど(笑)。ですので、駅弁が趣味ってことになるのでしょうか。

忙しく飛び回る辰巳さんらしいご趣味ですね。それが、公演のエネルギー源なのかもしれません。
公演が楽しみです。ありがとうございました。

プロフィール

辰巳 満次郎(たつみ まんじろう)さん

辰巳 満次郎(たつみまんじろう)
1959年兵庫県生まれ。父・辰巳孝に師事し、4歳で初舞台。東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。宝生流18世宗家宝生英雄の内弟子となり、1986年独立。2001年重要無形文化財総合認定、2005年度大阪文化祭賞奨励賞受賞。多数の海外公演や、新作能「マクベス」「六条」等の主演、演出も手がける。