| HOME > 港区探訪 > 港区探訪:道シリーズ(2) 赤穂浪士の歩いた道 |
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元禄十五(1702)年、十二月十五日の午前4時頃に吉良上野介(きらこうずけのすけ)邸(墨田区両国)へと討ち入った47人の赤穂浪士。仇討ちを遂げた彼らは、旧主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が眠る泉岳寺に向け出発します。 |
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| 汐留シティセンター |
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近年の再開発により、大きく変化している汐留地区。浪士達が歩いた頃の面影はなく、超高層ビルが林立しています。 旧新橋停車場 明治5年、日本で初めて鉄道が開通した時の駅舎が、当時と同じ場所に同じ姿で再現されています。建物内には無料で見学できる鉄道歴史展示室があります。 |
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| ウインズ汐留周辺 |
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汐留通りから少し左に寄り道すると、ウインズ汐留。周辺はイタリア風の町並みとして整備され、イタリアンカフェや、ジェラートのお店が軒を並べています。 |
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| 浜松町駅付近 |
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浜松町一丁目の交差点で汐留通りから第一京浜へ。その後は泉岳寺付近までひたすら直進です。この道は当時から「東海道」として交通の要衝でした。現在は昼夜とわず車の行き来が多い道ですが、浪士達が歩いたときにはどの位の往来があったのでしょうか? |
| 三田界隈 |
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時代は赤穂浪士の頃から160年ほど後になりますが、ここにも江戸時代の痕跡が。幕末動乱の時代に江戸城無血開城のため交渉が行われた場所(薩摩藩蔵屋敷跡)です。 |
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| 札の辻 |
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札の辻という地名の「札」は、幕府が法令を書いて人通りの多い場所に掲示した「高札(こうさつ)」を意味しており、ここが高札を掲げる場所だったという歴史が今も地名に残されています。右手には高くそびえたつ東京タワーの姿が望めます。 |
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| 泉岳寺 |
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ホテル東京を通り過ぎ、泉岳寺駅A2出口にさしかかったら右折し、ゆるやかな坂を上がれば泉岳寺に到着です。平日でも多くの人が訪れており、四十七士の墓前には参拝者のあげるお線香の煙が立ち込めています。 |
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今回ご紹介した港区内の道は、普通に歩けば1時間程度の道のりです。江戸時代の旅人は一日あたり8~10時間、およそ32~40キロを平均的に歩いていたそうなので、当時の人にとってこれくらいの距離は苦にならない距離だったのではないでしょうか。とはいえ、討ち入りという大仕事の後、さらに冬の早朝寒い中を両国から通しで歩くとなると、実際の距離よりも長く感じられたのではないでしょうか? 彼らは道中どのような思いを胸に抱いて歩き続けたのでしょう? 仇討ちをやり遂げた晴れやかな気持ちもあったでしょうし、追手や今後の処罰を不安がる気持ちもあったでしょう。しかし、とにかく旧主の墓前に報告をしたいという思いが彼らの足を早めたのではないでしょうか? |
| 泉岳寺境内および周辺 |
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★赤穂義士記念館
開館9時~16時(休館日3/31、9/30) |
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★首洗いの井戸
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★大石良雄外十六人忠烈の跡
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