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河川や運河、幹線道路の多い港区では、数多くの橋が街と街をつないでいます。
そんな「橋」に注目してみると、意外な見どころがたくさん。
普段なにげなく渡っている橋にも、新たな発見があるかもしれません。
芝地区は、東京タワーや芝公園といった港区の主要な観光スポットを擁するエリア。徳川家代々の菩提寺としてお馴染みの増上寺(芝公園4丁目)、「西郷隆盛・勝海舟会見の地」(芝5丁目)をはじめ、歴史的な文化財が点在しています。
芝地区で区が管理する橋は4つ。首都高速道路の下を流れる古川をまたいで架かっています。今回はそのうち、「中之橋」「将監橋」「新浜橋」を渡ってみます。どんな景色が見られるでしょうか。
港区のシンボル的存在、東京タワーも間近です。
1985(昭和60)年3月竣工(架替) 長さ:16.3m 幅:15.0m
架設は1698(元禄11)年と古く、時代劇に登場するような灯篭型の親柱が建てられています。
幕末期、この橋はある事件の舞台となりました。駐日アメリカ総領事ハリスの秘書兼通訳として来日していたオランダ人のヒュースケンが、薩摩藩士らに暗殺された場所なのです。ヒュースケンは日本で見聞きしたことをつづり、貴重な幕末外交史を残しました。その功績をたたえる墓碑とともに、南麻布四丁目の光林寺に葬られています。
写真左:東麻布側のたもとには、お散歩中に一息つける児童遊園があります。
写真右:風情ある灯篭型の親柱が特徴。道行く人を見守っています。
1968(昭和43)年7月竣工 長さ:23.4m 幅:17.8m
「しょうげんばし」という少しいかめしい名の由来には、岡田将監の屋敷が近くにあったという説と、もとの橋が彼の命で架設されたという説があります。
岡田将監は江戸時代初期の旗本で、岡田将監善同(よしあつ)、岡田将監善政(よしまさ)の2代がこの名を名乗っています。親子ともに農民保護や治水事業に力を入れたことで知られています。特に子の善政は、洪水の復旧工事に精力的に取組み、その功績が認められて後に幕府勘定奉行になりました。
写真左:橋の欄干には、港区の花「バラ」がデザインされています。
写真右:橋のたもとに建つ「瘡守(かさもり)稲荷」。傍らの石碑は区の指定文化財です。
1913(大正2)年7月竣工 長さ:75.6m 幅:6.0m
新浜橋は、JR浜松町駅から芝浦方面へのびる人道橋(歩行者専用橋)です。窓からは東海道新幹線や東京モノレールが見え、ここが東京の玄関口であることを感じさせます。
屋根付きで快適、近代的な橋のようですが、その歴史は古く、元は1913(大正2)年に架設されました。関東大震災で焼失し、1983(昭和58)年に今の姿で復旧しました。付近のオフィスビルにもつながり、人々の通勤路としてなくてはならない存在となっています。
写真左:東芝浜松町ビル方面の昇降口。常に人が行き交っています。
写真右:線路の下の通路を進むと、橋の昇降口につながっています。
正式には「渋谷川・古川」といい、天現寺橋(渋谷区)から上流を「渋谷川」、天現寺橋から河口間の4.4kmを「古川」と呼んでいます。江戸時代には川幅が30mを超え、荷物を運ぶ舟も多く行き来したようです。
桁橋は、川を挟んで橋台を置き、その上にコンクリート製等の橋げたを乗せた橋じゃ。上で紹介した3つの橋を含め、最もよく見かけるかたちじゃな。道路の端が橋台の役割を果たしていることもあるぞ。
橋の上を人や自動車が通ると、重みを受けた橋げたの上部には物体を押しつぶそうとする圧縮力がかかるが、反対に下部には物体を引き延ばそうとする引張力がかかるんじゃ。コンクリートは圧縮には強いが引っ張りには弱いため、多くの橋では鉄筋で補強されているのじゃよ。
出典:日本橋梁建設協会ホームページ