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礒野 誠一さん
赤坂に生まれ、暮らして

飲食店や放送局の街として全国的に知られる赤坂。「田町通り(エスプラナード赤坂通り)」「みすじ通り」「一ツ木通り」には様々な店が立ち並び、多くの人でにぎわいを見せています。赤坂で生まれ育ち、防犯協会や消防団の役員として、街の発展に寄与されてきた礒野さんに、お話を伺いました。

戦前には多くの料亭が立ち並び、霞ヶ関の政界相手の華やかな芸者衆が行き交った赤坂・田町通り界隈。礒野さんの家は、みすじ通りで芸者さんの着物を預かる質屋を営んでおり、耐火構造の蔵がありました。「芸者さんは置屋に住んでいたので、季節外れの着物の置き場所がなかったんです。保管にはとても気を遣い、火事にあわないように、蔵の窓は小さく、重い扉がついていました。子どもの頃は、赤坂六地蔵の縁日に一ツ木通りに出店が並ぶのが一番の楽しみでね」と懐かしそうに語る礒野さん。粋な中にものんびりとした街の風景が、浮かんできそうです。

端午の節句を祝う礒野さんご家族(写真)
端午の節句を祝う礒野さんご家族
(昭和7年ご自宅の庭にて。左端がご本人)

太平洋戦争の勃発は、赤坂の街に住む人々の命運を大きく変えました。高価な着物を扱う礒野さんの家の商売は休業に追い込まれ、礒野さん自身も学業半ばで出征を余儀なくされました。「復員して帰ってきたら、質屋の蔵があっただけで、赤坂から青山は一軒の家もありませんでした。はるかに氷川神社の緑が見えるばかり、あとは空襲で燃えてしまったんです」
人も物資も不足していたので闇市すら立たず、赤坂の復興は困難を極めたそうです。「戦後2、3年過ぎてから、疎開していた方が戻ってきました。トタン小屋暮らしだけど、顔なじみの人がいるところがいいんだってね」 街がかつてのにぎわいを取り戻したのは昭和40年代だそうです。

現在高層オフィスビルの建設が進み、街は大きく変わろうとしています。背広姿の男性やOLの姿が増え、黒塗り板塀の料亭は、一般向けの飲食店や遊戯店に様変わりしました。

赤坂氷川神社山車保存会の理事長も務められている礒野さん。「赤坂氷川神社の山車は、戦災で焼け残った貴重な文化遺産です。山車の保存を一つの核として、氏子、町内会、商店会が一体となって、赤坂に住む人、通う人、誰もが清潔な心を持てるようなきれいな街を作っていきたいですね」

礒野 誠一さん (写真)
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