イベント報告:音楽のさんぽ道 10月29日@天現寺 ~東京藝術大学学生によるコンサート~
更新日:2023/11/20
<コンサート実施概要>
日時:2023年10月29日(日曜日) 14:00~15:00
会場:天現寺 普明堂ホール
来場:40人
動画:音楽のさんぽ道~東京藝術大学によるコンサート~ - YouTube
(Kissポート財団 公式チャンネル - YouTube)
担当からのメッセージ:
募集50名に対しご応募は100名を超えて抽選をしたものの、来場率は8割に留まりました。当日の無断キャンセルなどの予想外のご欠席があまりも多く、余裕をもって60脚と多めにセットしたためにかえって空席が目立ってしまった客席が、とても悲しげに見えました。
この演奏会を心から楽しみにしていながら抽選に外れて来場できなかった方々と、心を込めて迫真の演奏を聴かせてくれた3人の素晴らしいアーティストに対して、担当として本当に申し訳なく思います。心からお詫びいたします。
この日の、素晴らしい3人の渾身の演奏。それはそれは、どんなに美しく芳醇な音楽だったことか。どんなに輝かしくも深遠な音の言葉だったことか。どれほど強く、深く、魂を揺さぶられたことか。その、奇跡のような瞬間にあの場所にいられなかった方々/いなかった方々のために、担当として、できる限りコンサートの臨場感を、その素晴らしい音楽を感じていただけるよう、当日のショートストーリーを以下に記します。
Short story of the Day
- Miraculous moments on the "Musical Walkway" -
ショートストーリー ”奇跡のような時間 ~音楽のさんぽ道の上で~”
右の建物の1階に普明堂ホールがあります。
1.♪コンサートの朝♪
秋のとても気持ちの良い日です。ひどく暑かったあの夏が噓のように、穏やかな薄日が差しています。
天現寺は、広尾のお洒落な街にある、由緒ある古いお寺。今日は、ここ天現寺の普明堂(ふめいどう)ホールで「音楽の散歩道」コンサートがあります。演奏は、東京藝術大学の学内オーディションで選抜されて結成されたピアノトリオ。ピアノの藤田凜太郎さん(4年生)、リーダーでヴァイオリンの菊川穂乃佳さん(大学院2年次)、そしてチェロの田上史奈さん(大学院2年次)、の3人です。今日のコンサートに向けた事前準備でのメールのやり取りから、リーダーの菊川さんの成熟した誠実な人柄としなやかな知性は確かに感じられていました。
予定時間の少し前に、田上さん、藤田さん、菊川さん、と到着、控え室で準備と打ち合わせを進めていただきます。
普明堂のホールは、最大で100名ほどが収容できる、PAの増幅を使わないアコースティックのセッティングに丁度良いホール。今日は60席を設置しています。
備え付けのピアノは、スタインウェイの3番めのブランドであるエセックスの小型グランド。深い茶色の木目が美しいピアノです。朝一番9時から念入りに調律と調整を行ってくれていた調律師さんが、申し訳なさそうに、ピアノの響板(ピアノ線のすぐ下に貼られた木の板)の一部にわずかに亀裂が入っていることを知らせてくれました。コンサートは大丈夫でしょうか。。
ピアノの藤田さんに調律が上がったことをお知らせし、試奏していただきます。藤田さんが響板の亀裂に気が付くか、”これでは演奏できません。”と言われないか、気が気ではありません。
藤田さんの手が鮮やかに鍵盤の上をめぐります。なんと透き通ったきらびやかな音でしょう。スタインウェイの片鱗がうかがわれる、深い中に輝かしさが光る美しい音です。コードの響き、キーのアクション、速いパッセージ、ピアニシモの弱音から、フォルテの強い音まで、ピアノの反応と頭の中の音のイメージのリンクを築き上げるように、確かめていきます。私の耳には、響板の亀裂の影響は聴きとれません。
最低音域のキーのフォルテで、藤田さんが何かを感じて同じところを繰り返します。調律師と会話されて、「そうですか、わかりました。これ、利用します。」と。困ったそぶりも不満の表情も見せず、亀裂のために若干暴れる最低音域の音を”演奏に活かします”と。
そして、一通り調律の仕上がりとエセックスの感触を確かめた後、菊川さん、田上さんと全員でリハーサルに入ります。リハの時間はたっぷり1時間半取ってあります。
弦のお二人が着座する椅子の位置を直し、3人の距離バランスとアイコンタクトを確認、譜面台を調整して、曲順やMCなどの流れを確認、そしてヴァイオリンとチェロが弦の調律を始めた時、その音の輝かしさと深さに驚きました。普明堂のホールの響きもとても優れています。残響の時間と返りの反応も素晴らしい。しかし、それだけではない、楽器から放たれる音そのものの存在感が、輝かしく深い響きが、圧倒的です。これは、素晴らしいコンサートになる。瞬間的にそう感じました。
それは、1曲目のモーツァルトのリハーサルで確信に変わりました。3人が一つの和音を奏でた時の完全に一つに溶け合った豊かな響き。主旋律を受け渡しながらのアンサンブルとインタープレイ、それぞれが、リードし、受け止め、反応し、モーツァルトの音楽世界の中で自由に飛翔している。その、躍動する”生きた”音楽の美しく清々しいことと言ったら。その場に釘づけになって我を忘れて聴き惚れてしまい、モーツァルトのリハーサルが一段落したとき、小さく”ブラボー”と拍手していました。
そこで、皆さんのリハーサルの邪魔にならないよう、受付の準備のためにホールを離れます。コンサート本番の音がどれほど素晴らしいものになるか、期待に胸を膨らませて。
楽譜の奥にある楽曲の本質が音に乗ってまっすぐに伝わってきます。モーツァルト、メンデルスゾーン、ドビュッシー、ショスタコーヴィッチ、それぞれの作曲者の意図を完璧に理解されているからこそなせるわざです。
2.♪奇跡のような時間♪
ホールの入り口でスタンバイしているスタッフの前に、コンサートの衣装に身を包んだ3人が2階の控室から階段を下りてきます。その姿には、堂々とした自信と確信、お互いに対する信頼が感じられます。3人のピアノトリオはこれまでに何度も演奏を積み重ねてこられ、しっかりした絆が結ばれているのでしょう。
14:00定刻、普明堂ホールの入り口の引き戸をスタッフと天現寺のご住職が開きます。お客様の拍手に迎えられて、着座し、チューニング、そして、おもむろに最初のプログラムのモーツァルトが始まります。
<モーツァルト ピアノ三重奏曲 第6番 K564 より第1楽章>
秋のさわやかな日にちなんで、と菊川さんがおっしゃっていた、ト長調(G Major)の楽しく軽やかなメロディー、古典派の緻密な構成の美しさが光る、モーツァルトらしい曲想です。
ピアノからは、コロコロと転がるような柔らかく軽快な音の粒が放たれて、ホールを満たしてゆきます。亀裂の影響は微塵も感じられません。藤田さんの卓越した技術がそれを可能にしています。弦のお二人の輝かしい音が、溶け合って、ピアノとメロディーを受け渡してゆきます。ヴァイオリンの音が空を舞い、チェロの豊かな低音がアンサンブルをしっかりと支えています。3人の技術と豊かな楽想は成熟したもので、聴き手の私たちは、完全に安心して3人の音に身をゆだねられます。なんて、自然で軽やかな音楽でしょう。なんて、幸せな時間でしょう。ここにいられることを、この音に、この瞬間に出会えたことを、心から嬉しく思います。
<プログラムの意味するもの>
3人の鮮やかなコードでモーツァルトの演奏を終えると、菊川さんがマイクを取って挨拶と今日のプログラムの説明を始めます。
演奏曲は”音楽のさんぽ道”という名前にちなんで、クラシックの大きな時代のカテゴリーを順にたどる構成になっています。古典派のモーツァルト、初期ロマン派のメンデルスゾーン、印象派のドビュッシー、近現代音楽のショスタコーヴィッチの4人、4つのピアノトリオから、1時間のコンサートに合わせて、数楽章をピックアップしたものです。
古典派は、楽曲の形式構成の論理的な美しさが特徴で、バッハなどは数学的、建築的と形容されるほど。モーツァルトもメロディーの美しさがまず耳をとらえますが、形式の構成はとてもきっちりしています。古典派の音楽は、自然を表すもの、天=宇宙の構築美のような自然の摂理を表現しようとしたもの、とされています。
古典派に続くロマン派の時代は、それまでの天や自然の摂理から、人間の個人の思い、感情、精神性を表現しようと変わって行った時代とされています。人の意識や興味の中心が、天=神から人間に移り、形式の美しさよりも、人間の個性、感情の自由な表現を重んじるようになります。メンデルスゾーンは、そのロマン派の初期に生きた人です。
次のドビュッシーは、モネやルノワールの絵画に対してつけられた「印象派」という言葉で説明される作曲家です。「音楽に理論はない。聴くことだけが大切なのだ。」ドビュッシーは、そう言ったそうです。モネが、太陽の光をキャンバスの上に表現しようとしたように、ドビュッシーは、それまでの和声理論からは説明のできないボイシング(和音の構成)で、長短調のはっきりした論理的なカデンツ(和声進行)による”意味”やストーリーではなく、音の持つ輝きや音そのものの美しさを追求したのです。
近現代の音楽には、すべてを説明する一つのスタイルがありません。それぞれの個人の個性が重んじられて多様な音楽が生まれました。ショスタコーヴィッチは20世紀を代表する作曲家の一人とされ、ソビエト連邦時代の、歴史的・政治的にとても困難な時代、困難な環境に生きた人です。交響曲などの厳格なクラシック音楽だけでなく、ポップスのような楽しい楽想の音楽も作曲している幅広い作曲家です。
このプログラムは、ただ一言「時代をたどる」という簡単な言葉では済まされない、曲想も演奏技術もとても幅広いものです。ショスタコーヴィッチの曲では、スル・ポンティチェロ(弦の極端に駒の近くを弾く)、フラジオレット(ハーモニクス)などの特殊奏法もあります。大変に、チャレンジングなプログラムなのです。
<メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲 第1番 より第1楽章>
さて、菊川さんがMCの説明を終えて、2番目のメンデルスゾーンが始まります。
軽やかで楽しいト長調のモーツァルトから打って変わって、ニ短調( D minor)の激しい情熱的な曲です。冒頭からチェロが主旋律を奏で、次いでヴァイオリンが引き継いで強く深い感情を歌い上げて行きます。弦のお二人の表情もモーツァルトとは違い、情熱と強い感情と意思を表しているようです。
端正で軽やかなモーツァルトとの鮮やかなコントラスト。3人の的確な技術は、その表現のトーンを完全に切り替えて、ロマン派の音楽がとらえようとした、人間の感情と情熱そのものになったかのよう。音に乗せて伝えられるその思いに、魂が激しく揺さぶられます。ああ、なんという、音の力。。
呆然として聴き入るうちにメンデルスゾーン(第一楽章)が終わり、MCをはさまずに、次のドビュッシーが始まります。
<ドビュッシー ピアノ三重奏曲 より第2.3楽章>
弦のお二人のピツィカート(弓ではなく指で弦をはじく)から始まり、ピアノが加わった瞬間に、モーツァルトともメンデルスゾーンともまったく異なる音世界が広がります。それは長調なのか短調なのか、揺れ動く調性とリズム、それは、不思議な、夢とも現実とも区別のつかない世界です。
ドビュッシーのとらえた不思議な夢の世界の第二楽章が終わると、次の第三楽章は、大きく変わって、美しく優しいメロディーを歌い上げる、甘い夢の記憶のようなロマンチックな世界です。なんという、目くるめく変化でしょう。
<ショスタコーヴィッチ ピアノ三重奏曲 第2番より 第3.4楽章>
プログラム最後の曲は、ショスタコーヴィッチです。菊川さんからマイクを渡されて藤田さんが曲の説明をします。ショスタコーヴィッチの親友が亡くなった時にその親友に向けて作曲した作品、というエピソードが紹介されます。
厳かなピアノのマイナーコードから始まり、ヴァイオリンが胸を締め付けるような嘆きの旋律を奏で、それをチェロが引き継ぎます。親友の死を悼む悲しみのメロディーが紡がれて行き、弦のピアニシモのロングトーンで第3楽章が終わると、すぐに第4楽章へ。リズミックなピアノ、弦のピツィカートで、怪しげな空気が広がります。藤田さんの説明にあった”墓場からの声があるような”という形容そのままの不穏な世界です。リズミックな場面では、何かが墓場を行進しているマーチのように聴こえます。その不穏さとリズムは次第に熱を帯びて行き、激しさを増して行きます。そして、3人がクレッシェンドして行ったフォルテの怪しいマーチの最高潮で歩みが止まり、一瞬の空白の後で、弦の強奏に続いて藤田さんの左手がピアノの最低音域のキーを強く強くフォルテします。”!”これです。エセックスの響板の最低音域に入った亀裂、わずかに暴れる低音域を「利用します。」とおっしゃっていた、あの表現です。なんという音、なんという音楽でしょう。
そして、曲はフィナーレに向かって表情を変え、またマーチに戻り、墓場の怪しい空気を再現した後、ピアノの高らかなコードに弦のフラジオレットの怪しい響きで不穏な空気になった後、ピツィカートのコード弾きで静かに終わります。
3人がホールを出ても拍手は鳴りやみません。アンコールに応えて、3人が再び入場してきます。
<アンコール:ショスタコーヴィッチ ピアノ三重奏曲第2番より第2楽章>
アンコールは、同じショスタコーヴィッチから、第2楽章。第3、第4楽章とは異なった、速いテンポの軽快な楽想です。悲しみと嘆きの第3楽章、怪しい墓場マーチのような第4楽章で重くなった心を洗ってくれるような、アンコールに相応しい曲です。3分半を軽快に疾走して、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのフォルテのコードの一閃で幕を閉じます。
素晴らしい、本当に素晴らしい演奏、素晴らしい音楽でした。このコンサートができたことを、この奇跡のような時間にここにいられたことを、心から感謝します。
皆さん三人とも、無駄のないとても的確で美しい言葉使いに確かな知性が感じられます。
3.♪音楽とは、Artとは、そして”生きる”とは♪
「音楽とはなにか?」この問いに答えようと、何人何十人もの科学者や音楽学者がチャレンジしてきました。ですが、未だに数値や言語によるその明快な説明はできていません。なぜでしょう?それは、音楽は、音、音波そのものではなく、聴いた者の中で(心の中、魂の中で)起こる現象だからです。
ワルツフォーデビー(Waltz for Debby )で知られるジャズピアニストのビル・エヴァンスにこんな言葉があります。
「人にはだれも"ユニバーサルミュージカルマインド"(Universal Musical Mind)とでもいうべきものがあると思う。本物の音楽というのは、なんであれ、そのユニバーサルマインドから出て、聴く人のユニバーサルマインドに語り掛けているんだ。」
これはジャズに限りません。ロックであれ、民族音楽であれ、もちろんクラシックも同じです。菊川さん、田上さん、藤田さん、3人のピアノトリオの演奏は、まさにそのユニバーサルマインドからの音楽でした。
音楽の演奏には技術が必要ですが、技術そのものが音楽なのではありません。楽譜に忠実に、一つのミスもなく演奏できる奏者はたくさんいます。”ミュージック マシン”のような。でも、完全にミスのない演奏でも、「音楽」がまったく聴こえてこない演奏もあるのです。
千住真理子さんが、ご自身のエッセイに書かれていたエピソードがあります。長年の修練を経たあるとき、師匠の江藤俊哉さんにこう言われたそうです。「もうあなたに教えることはない。あなたの技術は完璧です。いつか、あなたの音楽で僕を感動させてください。」この言葉を聞いて、千住さんは大きなショックを受けます。私のヴァイオリンは、技術は完璧でも、音楽ではない。。。 千住さんはその大きな苦しみの中から、立ち上がり、歩き出してご自身の音楽を見つけて行ったのです。
その反対に、技術が粗削りでも、「音楽」がストレートに突き刺さる演奏もあります。
大友良英さん(ギタリスト、ターンテーブルプレイヤー、作曲家)が長年携わっていらっしゃる「音遊びの会」というグループがあります。知的障がい者のグループで、大友さんがリードして即興音楽のセッションをステージで発表することを長年されています。ブッチ・モリスの「コンダクション」という即興指揮の手法を簡略化したもので、指揮者が簡単な手のサインで、全員の音出しやストップなどをリードする、というものです。音遊びの会のメンバーがそれぞれ楽器を演奏し、大友さんやメンバーの誰かがコンダクト(指揮)をします。楽器は、トロンボーンあり、ピアノあり、ドラムもあり、さまざまです。
大友さんのイベントに参加した時、このコンダクションを実際に体験しました。音遊びの会の青年がコンダクト(指揮)をします。表情は笑顔に輝いていて、自信にあふれたヒーローのよう。いえ、彼はまさにヒーローそのものでした。
その青年が出すサインに合わせて、その即興セッションに参加した100人を優に超える人たちが一斉に音を出します。そのリードは自信がみなぎり、サインに導かれて変幻自在に音が放たれ、音楽をアンサンブルを作ってゆきます。その、躍動感、自由さ、奔放さと確かな手ごたえ。リードする青年はまるでダンサーのように舞っています。そのダンスに導かれて、即興の音楽そのもののダンスも舞い上がって行きます。そう、それは紛れもなく美しい「音楽」でした。
躍動する「音楽」。その躍動とはなんでしょう。魂がふるえる、心が高揚する、それは、命、生命そのものなのではないでしょうか。私たちは、音楽にそれを感じている。ユニバーサルマインドからユニバーサルマインドに伝えらえるもの。音に乗せて届けられるもの、音の奥にあるもの、その生命の力そのものを感じている。
絵画や彫刻など、他の芸術、Artも同じなのではないでしょうか。ゴッホの絵画、ロダンやカミーユ・クローデルの彫刻、私たちが胸をかきむしられるような思いを受ける作品は、どれも強い生命の力を感じます。そこに、真実があるからです。真実をつかみ真実を表すことができた芸術作品から、私たちは生命の力を確かに感じている。ユニバーサルマインドから出た生命の力を、ユニバーサルマインドの深いレベルで感じ取っている。それは、かけがえのない深い喜びです。そしてそれは、生きることそのものの喜び、生命の根源の喜び、なのではないでしょうか。
そう、音楽、Artは、生きることそのものの表現、なのです。
そして、今日のこのコンサートもまさに、その生命の力が伝わってくるものでした。確かな技術と楽曲の深い理解によって、楽曲が本来持っている命の力が、余すところなく音に乗って伝わってきました。そして、それは3人の魂の言葉そのものでした。演奏する3人と、聴衆のすべてが、ユニバーサルマインド(ユングの言葉なら、集合無意識でしょうか。)のレベルでつながりあった瞬間。心と心が触れ合った、喜び。
素晴らしい、本当に素晴らしい時間でした。奇跡のような、宝石のような時間でした。
藤田さん、菊川さん、田上さん、心から感謝します。本当に、ありがとうございました。ぜひ、また聴かせてください!
田上さんのチェロのエンドピンの下にはゴム製のストッパーが。普明堂の美しい木製の床を傷付けない配慮です。
コンサートのプログラム

