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ふれあいコラム

今、話題の人物をクローズアップ!
バンドネオン奏者 小松 亮太(こまつ りょうた)さん

バンドネオン奏者

小松 亮太 さん

バンドネオンの音色を堪能してまだ見ぬ新しいタンゴの世界へ

『THE 世界遺産』のテーマ曲等で著名な小松亮太さんが演奏する楽器、バンドネオン。ドイツで生まれた、アルゼンチン・タンゴの演奏に欠かせない楽器です。その生の音を堪能できるのが、6月27日、赤坂区民センターの『小松亮太 with ラスト・タンゴ・センセーションズ~魅惑のアルゼンチン・タンゴ・ナイト~』。小松さんに、バンドネオンやタンゴの魅力を教えていただきました。

バンドネオンとは、どんな楽器ですか?

僕が使っているバンドネオンは、1930年代のドイツ製のもの。蛇腹楽器なので、アコーディオンと同じものと思っている人がいますが、全然違う楽器です。形は正方形で、ボタンしかありません。1840年代、ドイツのアコーディオンとハーモニカを作っていた会社が新製品として発明し、これがアルゼンチンに渡って、タンゴ演奏に使われるようになったのです。
日本では、1955~65年頃(昭和30年代)に空前のタンゴブームがありました。タンゴといえばアルゼンチンのブエノスアイレスが本場ですが、当時、アルゼンチンに次いで世界で2番目に盛り上がっていたのが日本だったんです。ヨーロッパと比べても演奏のレベルが高く、バンドネオン奏者もたくさんいて、本場に追いつけ追い越せ的な感じだったんでしょうね。ところが65年以降、ビートルズが来日したりして、ブームは下火になりました。
その後、90年代後半に世界的に有名なアルゼンチンのバンドネオン奏者、アストル・ピアソラの『リベルタンゴ』という曲がサントリー・ローヤルのコマーシャルで使われたり、映画でもいろいろなタンゴ曲が使われたりして、また流行がありました。最近は、フィギュアスケートの高橋大輔選手がピアソラの『ブエノスアイレスの冬』という曲で滑ったり、キム・ヨナ選手が『アディオス・ノニーノ』という曲を使ったり。若い世代は、それで聞いたという人も多いですね。僕が作ったアニメの曲や『THE 世界遺産』のテーマ曲を、バンドネオンの演奏と知らずに聴いている人もいるかもしれません。

世代によって印象が違うのですね。

タンゴは、ある人にとっては郷愁を誘う曲だし、別の人にとってはフィギュアや映画の音楽です。さらにタンゴファンでも、ダンスをやる人と演奏を聴く人に分かれます。
今回のコンサートは、ダンスはなくて演奏だけです。構成は、ヴァイオリン、ピアノ、ギター、コントラバスのキンテート(五重奏)。最近のタンゴでは一番スタンダードな編成で、少人数でいろいろなことができます。トークで解説もしますので、演奏者がどんなテクニックを使ってどんな音を出すか、じっくり見て、聴いてください。

それらを牽引するのが、小松さんのバンドネオンですね。

タンゴというとよく“魅惑の”とか“情熱の”といった形容詞が冠につきますが、そんな固定観念におさまらない“まだ見ぬ新しい音楽”です。バンドネオンという楽器にしても、曲も演奏もまだ知られていない宝物がたくさんあります。クラシック、ロック、ジャズ、このどれにも該当しない音楽だと自信を持って言い切れます。

小松さんが、バンドネオンを始めたきっかけは?

まず、タンゴ・ミュージシャン夫婦の家に生まれたということがありますね。父親は、ギターとエレキベースの両方を弾き、母親はピアノ。そして、歩いて15分ぐらいのところにバンドネオン奏者が住んでいて、よく3人で練習してました。なので、タンゴの曲は本当によく耳にしていました。ただ、当時は好きも嫌いもなくて。自分から聴いていたのは、ほかのジャンルの音楽ばかりでしたね。

では、実際に演奏するようになったのは?

中学2年の時、たまたまバンドネオンが一台、家にきたんですよ。
80年代はバブル時代で、ミュージシャンの仕事もたくさんありました。ところが両親は、昭和のタンゴブームが終わってからタンゴを始めた人たち。バンドネオン奏者がかなり減っていて、奏者がいないために仕事はあっても引き受けられない状況で、困っていたんです。そこに、あるアコーディオン奏者がバンドネオンを「やってみます!」と言ってきたんです。彼は、アコーディオンとバンドネオンに何かしらの互換性があるだろうと思っていたんでしょうね。それで両親は、バンドネオンを買ってしまったんです。ところが、アコーディオンとはまったく違いますから、試したところまったく弾けない。ものの5分ぐらいでキャンセルになっちゃった。それで、家にあったのを、僕が遊びで触り始めたわけです。鍵っ子で時間はあったから、ボタンを押して鳴らしながら、覚えていったんです。
そうやって遊んでいたら、両親の周辺の人たちが喜んでしまって(笑)。バンドネオン奏者は絶滅危惧種と思っていたところ、バンドネオンに興味を持った中学2年生の男の子が登場したわけです。なんとなく乗せられた部分もありますけど(笑)、自分でも面白いと思って始めたわけです。

遊びから始めて、独学でマスターするのは難しそうです。

すべての楽器に、簡単なところと難しいところの両方があるでしょう? バンドネオンの簡単なところは、ボタンを押せば音が鳴ること。そういう意味ではラクな楽器です。
ところが最初につらいのが、ボタンの配列。ドレミファソラシドのボタンの位置を覚えるのが大変で、これで逃げちゃう人がいる。しかも、蛇腹を引っ張って鳴らした時と、縮めた時で同じボタンなのに音が変わる。でもそれも、配列を覚えるのは誰でもできますよね。だって、パソコンのキーボードの文字の配列とか考えたら、ABC通りに並んでいなくても、世界中の人が使いこなしているわけでしょう?

指がポジションを覚えてしまえば、ということですね。ただ、それを演奏として成立させるのは…。

それはまた全然、別のことになるわけです。当時、大変だったのは、情報がなかったこと。今のようにインターネットがありませんから、どこに良い楽器があって、どこで習えるかといった情報がまったくありませんでした。できることといえば、アルゼンチンのタンゴ・ミュージシャンが来日したら、ホテルに行ってアドバイスしてもらったり、楽譜をもらったり。それは苦しかったですね。

ご自身で切り開いてきたわけですね。

切り開いたというか、一回消えそうになったものを、再びやっていく楽しみはありました。
アルゼンチン・タンゴは民族音楽ではなく、ヨーロッパ移民がブエノスアイレスで作った音楽です。そこに、ドイツで生まれたバンドネオンという歴史が浅い楽器がうまくハマった。歴史が浅いということは、近代の楽器製作技術が凝縮されているということだと思います。でも第二次大戦後、バンドネオンは急に作られなくなりました。ドイツが負けてソ連軍が工場を解体してしまったため、という話を聞きましたが、バンドネオンの良い楽器が減っていくのとアルゼンチン・タンゴの衰退が偶然重なったんですね。僕等が、アルゼンチンの価値あるアーティストのパフォーマンスを間近で見た最後の世代かもしれないです。
でも何より難しかったのは、タンゴというジャンルにつきまとう固定観念です。
日本の場合、タンゴだけに限ったことではないですが、スペイン語圏、イタリア語圏、ポルトガル語圏、この3つの言語エリアの音楽には、ほとんどの場合、“情熱の”って形容詞がつくんです。さらに、タンゴだけなぜか“魅惑の”というのもついてくる(笑)。そうなるとそういう面しか期待されないんですよ。
当たり前のことですけど「魅惑」や「情熱」はどんな音楽にもあります。タンゴの曲にも、冷たいカッコ良さや可愛いものがあります。“哀愁の”とも言われますけど、ただただ楽しい曲だってある。哲学的な深さを持つ曲もあります。固定観念が先行してしまって、タンゴそのものを楽しむような、音楽的な知的好奇心で聞いてもらうことがなかなかできなかったんです。
そうした印象を変えてもらえるようなコンサートを、デビュー当時から心がけているんですよ。
最近は、YouTubeや音楽ダウンロードサイト等のおかげで広がりが出てきています。でも、曲の題名を知らなかったら、検索のしようがないですよね。タンゴにはジャーナリズムがほとんどないので、僕も、ツイッターやブログ等で情報発信しています。

目指されている表現はどんな方向性でしょうか。

ある種のローカリティといったものは、音楽に必要不可欠な要素だと思います。とはいえ、タンゴは“本場アルゼンチン”とか“情熱の”といったことにこだわりすぎです。もっとどこの国の人も、どの世代の人も、楽しめる音楽になって良いのではないかと思いますね。
去年から、いろいろな国のプレイヤーが集まってタンゴを演奏する企画を始めました。日本のメンバーと韓国のバンドネオン奏者で演奏したり、台湾にも若いバンドネオン奏者が出てきていたりします。フィンランドの演奏者と連携して、来年はフィンランドのタンゴフェスティバルに出演しようとか。そういう風に、タンゴだからアルゼンチンといった感覚を良い意味で薄めて、世界に出ていきたい。タンゴを、新しい感覚で動かしていこうと思っています。

無国籍というか、多国籍ってことですね。

そうです。それはほかの音楽ジャンルだったら、みんなやってることですよね。フランス人がロシアのクラシックを演奏したり、フランスのミュージシャンがブラジル音楽をやったり。いろいろな国の人が、新しい音楽としてタンゴを楽しんでもらえたら。
今回のコンサートも、そうした感覚で楽しんでもらえると思いますよ。タンゴほど面白いものはほかにありませんから。まだ見ぬ新しい音楽に出会えるでしょう!

プロフィール

小松 亮太(こまつ りょうた)さん

小松 亮太(こまつりょうた)
1973年東京生まれ。両親ともタンゴ奏者の家庭で育ち、14歳よりバンドネオンを独習。1998年、ソニーからCD『ブエノスアイレスの夏』でデビュー。世界的なバンドネオン奏者・作曲家として幅広く活躍。ジャンルを超えて様々なアーティストとも共演。
公式サイト:http://www.ryotakomatsu.com/