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HOME > 港区探訪 > 落語の町を歩いてみれば 第二話 芝浜 〜芝を歩く〜
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落語の町を歩いてみれば

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第二話 芝浜 〜芝を歩く〜

第二話 芝浜 〜芝を歩く〜

古典落語の中には港区を舞台とした噺が数多くあります。
さまざまな落語の世界を通じて、江戸から続く港区の歴史と今を訪ねてみましょう。

落語「芝浜」あらすじ

―― 裏長屋に住む※棒手振(ぼてふ)りの魚屋、魚勝は、大酒飲みで商売をさぼりがちだった。
あるとき、しっかりものの女房になだめすかされて、朝、芝浜の魚河岸に出かける。しかし、時間が早すぎたため、問屋は開いていなかった。

そこで、浜辺で夜明けを待っていると、大金の入った財布を見つけた。
夢中で腹掛けにしまい一目散に家に帰り数えてみると、なんと42両もあった。これで遊んで暮らせると、大喜びで友人を呼び、酒を飲んで寝てしまう。
翌朝、女房に起こされ、商いに行けと促されたので「昨日拾った42両がある」と言うと、女房に「そんなのは夢だ」とたしなめられた。
大金を拾ったのは夢で散財したのは現実と聞いて、心を入れ替えた魚勝は禁酒を誓い、商いに精を出す。
そのかいあって、3年後には通りに小さな店を出し、若い衆を2、3人置くようになった。

ちょうど3年目の大晦日、除夜の鐘を聞きながら福茶を飲んでいると、女房が改まった面持ちで「腹を立てずに最後まで聞いておくれ」と前置きして、42両を差し出した。
3年前の夢が嘘と聞いて、魚勝が怒ろうとすると、「3年前にこの金で遊んで暮らすと言うので大家に相談したところ、『拾った金を使ったら罪になる。お上に届け、夢ということにしてごまかせ』と教えられたので、その通りにしました。これは落とし主が出てこず戻ってきたお金です。腹が立つのなら気の済むまで殴って」と言う。
魚勝は心から礼を言い、機嫌直しに女房が一本つけてくれた酒を飲もうとして一言。
「よそう。また夢になるといけねえ」。

※棒手振りとは天秤棒を担いで売り歩く行商人のこと。

お江戸の豆知識

宵越しの銭は持たない

落語の町を歩いてみればイラスト

日々、魚を仕入れ天秤棒で担いで売り歩く「棒手振り」。一年間の稼ぎはおよそ29両ほどだったそう。
魚勝が芝浜で拾った財布には42両も入っていたのですから、年収以上の大金を手に入れて有頂天になるのも無理はないかもしれませんね。
ただ、時代劇でしばしば耳にする「10両盗めば首が飛ぶ」という言葉があるように、盗みへの刑罰は大変重いものでした。
また、江戸っ子の気質を表すことわざ、「宵越しの銭は持たない」には、金融機関もなく、盗難や火事などの危険もあるため、まとまったお金を家においておくこともできないという事情もあったようです。

大晦日は大忙し

落語の町を歩いてみればイラスト

江戸庶民にとって大晦日は、一年を締めくくる日であると同時に、借金の清算をするための日でした。
当時の借金の支払い方法は盆と暮れの二季払いで、特に大晦日は一年の総決算。
貸したほうは新年を迎えるために走り回って借金を徴収し、返すほうも走り回ってお金を工面して返さなければなりません。
返せない場合は言い訳をして一時しのぎをするのです。
大晦日にのんびりと除夜の鐘を聞くのは、案外大変なことだったのかもしれませんね。

落語の町を歩いてみれば 落語にまつわる見どころMAP

(一) 港区立本芝公園(一) 港区立本芝公園

現在、本芝公園のある場所は、江戸以前から開けていて本来の芝という意味で「本芝」と呼ばれました。
昭和39年頃までは漁船が行き交う入り江で、公園の一角には「雑魚場(ざこば)跡」の碑が立っています。江戸時代から昭和初期頃まで魚市が立ち、初めは雑魚を並べていたのでこの名が付いたそう。
本芝・金杉の小魚は将軍家に献上された「御菜」上納の品でもあり、特に「芝肴」と称され珍重されました。
後に江戸湾(東京湾)で獲れたウナギ・穴子・スズキ・アサリなどは江戸前と呼ばれ、庶民に愛されました。
1日に朝市と夕市が立つことは珍しく、特に夕市には庶民が夕飯の食材を求めて訪れました。

港区立本芝公園 写真
(左) 江戸時代に海岸だった「本芝公園」には、海にまつわるオブジェが多数あります。
(中) 案内板には古地図と解説。
(右) 船をかたどった彫刻。

(二) 御穂(みほ)鹿嶋神社(二) 御穂(みほ)鹿嶋神社

本芝公園の向かいにある「御穂鹿嶋神社」は2005年に「御穂神社」と「鹿嶋神社」が合祀し、翌年、旧鹿嶋神社の社地に建立されました。
神社の前には寄席文字の家元、芝生まれの橘右近が書いた「芝濱囃子の碑」が建てられています。
また、昭和中期までは神社のすぐ前まで砂浜だったため、神社の横に「ご乗船場跡」が残っています。

御穂(みほ)鹿嶋神社 写真
(左)昭和53年に建立された碑。
(右)神社の脇は船着場でした。

(三)薩摩蔵屋敷跡(三)薩摩蔵屋敷跡

(三)薩摩蔵屋敷跡
石碑の文字は西郷隆盛の孫である西郷吉之助が書いたそうです。

江戸時代に薩摩藩所有の蔵屋敷のあった場所です。
.慶応4(1868)年3月14日、幕府の陸軍総裁であった勝海舟が蔵屋敷を訪ね、西郷隆盛と江戸開城に向けて最終交渉を行ったことから、「江戸開城 西郷南洲 勝海舟 会見之地」の石碑が建てられています。
土台の案内板には蔵屋敷の裏は海だったこと、「芝浜」の舞台となった海岸線を示す地図などが記されています。

監修:芝落語会会長 西田高光 参考文献:『増補 落語事典』東大落語会編/青蛙房、『まち探訪ガイドブック』俵元昭監修/港区産業・地域振興支援部、『一冊でわかる 落語ガイド』秋山真志監修/成美堂出版、『面白いほどよくわかる江戸時代』山本博文監修/日本文芸社、『江戸のしきたり 面白すぎる博学知識』歴史の謎を探る会編/河出書房新社
はみだし情報

「芝浜」で魚勝が飲んでいた“福茶”は黒豆、塩昆布、梅干しなどを入れたお湯(またはお茶)のことです。厄除けに、お正月や節分、大晦日に飲むもので、今でもその習慣は各地に残っているようです。

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