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港区探訪

港区の偉人

第14回 オールコック(外交官)(1809~1897)

「これ以上美しい隠れ家は選びようがなかったろう
ということは、告白しなければならない」

(来日後、東禪寺を視察した際の言葉:『大君の都 幕末日本滞在記』より)

外科医から転身し、34歳で外交官となる。中国の領事を経て、1859年、初代駐日イギリス総領事兼外交代表として来日。後に公使に昇任し、日本との貿易交渉にあたった。著書に開国後の日本の様子を記した『大君の都』等。

オールコック(外交官)

医師の息子としてイギリスに誕生
学問の傍ら芸術への造詣を深める

ラザフォード・オールコックは、1809年、ロンドン近くの町で誕生しました。幼くして母を亡くしたため親戚の家で育てられ、15歳のときに医師である父のもとで医学の勉強を始めます。

名門・イートン校を卒業後、後の生涯を運命づけることとなる外科医のG・J・ガスリー博士に師事します。学問を修める一方、芸術に関心を抱くようになったオールコックは、パリに留学して名画や文学に触れ、さらにフランス語とイタリア語を習得。帰国後、1830年に21歳で医師免許を取得しました。

1832年にポルトガルに内乱が発生すると、恩師であるガスリーからの推挙でオールコックは軍医として従軍。続くスペイン内乱では軍医長として活躍し、外交面でも能力を発揮します。

イートン校

イートン校

キーワード:芸術への関心

オールコックは芸術の中でも特に彫刻に惹かれ、パリでは彫刻家のアトリエに通って学びました。帰国後も修業を続け、その技術を解剖模型の制作に活かし、弟子をとるほどの腕前でした。

軍医を経て外交官の道へ
高輪東禪寺に居を構える

終戦後、オールコックは英外務省からの要請で戦後処理に取組みますが、過労からリウマチを発症して両手の親指の自由を失います。文字を書くことも難しい状態となってしまったため医師を続けることをあきらめますが、このことが外交官になるきっかけとなったのです。

このころはヨーロッパによるアジア進出が続いており、日本でも各国との外交交渉が始まっていました。オールコックは駐日総領事に抜擢され、日英修好通商条約への同意を示す批准書の交換のために来日。江戸の住まいとして東禪寺を案内されるとオールコックは一目で気に入りました。二日後、公使館となった東禪寺にイギリス国旗が掲揚されました。

オールコックの富士登山記念碑

オールコックの富士登山記念碑

キーワード:富士登山

オールコックは初めて富士登山をした外国人としても知られています。登頂に成功した一行はイギリス国歌を歌って祝い、富士の雪で冷やしたシャンパンで乾杯しました。

綿密な準備で成功した
遣欧使節団と万国博覧会への参加

通訳や書類の行き違いはあったものの、批准書の交換は無事に終了。品川沖に停泊していたサンプソン号が礼砲を発射し、日英の友好関係を祝しました。

一方、幕府では「遣欧使節団」の計画が持ち上がっていました。オールコックは派遣する人数や見学先について積極的にアドバイスし、本国イギリスに受け入れ準備を要請しました。折しも、イギリスからはロンドン万国博覧会開催の通知が届きます。かねがね日本の美術工芸品の素晴らしさを感じていたオールコックは、幕府に参加を強く勧め、自身の美術品のコレクションを出品する手配をしました。遣欧使節団と万博参加の準備は周到に進められ、1862年、ついに日本から36人の使節団が旅立ちました。彼らに合わせて帰国したオールコックは、翌年、著書『大君の都』をロンドンで出版しました。

ロンドン万国博覧会を視察する遣欧使節団

ロンドン万国博覧会を視察する遣欧使節団

キーワード:万国博覧会

万国博覧会に出品されたのは、漆器、陶磁器、織物、絵画といった614点の芸術品。いずれも「伝説から抜け出したようにエキゾチック」と評され、多くの人の目を引きました。

通信の行き違いが招いた
イギリスへの帰国命令

翌年使節団が帰国したころ、国内情勢は急変していました。生麦事件、英国公使館焼き討ち等、外国人への過激な攻撃が続く中、攘夷が不可能であることを思い知らせるため、オールコックはついに仏蘭米と手を組み、長州で外国船に砲撃を続けていた下関砲台への攻撃を実行します。砲撃許可をめぐる交信に時間がかかったことから、この判断がイギリス政府の意向に反するものとされ、オールコックには帰国命令が出されました。後に対応が妥当であったと認められ、幕閣や他国の公使から帰任を求められますが、再び来日することはありませんでした。

公使辞任後は王立アジア協会の副会長を務め、イギリスにおける日本研究の先駆者となりました。1897年、88歳で死去。日本と世界をつなぐ架け橋として大きな役割を果たしました。

偉人の足跡

東禪寺

1610年創建の寺院。オールコックが駐在した幕末期には、2度にわたり攘夷派の襲撃を受けました。2010年2月、境内が国の史跡に指定されました。

写真

港区高輪3-16-16
JR「品川駅」より徒歩7分

参考:「オールコックの江戸」(中公新書)「英国外交官の見た幕末日本」(吉川弘文館)「幕末維新を動かした8人の外国人」(東洋経済新聞社)