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ふれあいコラム

今、話題の人物をクローズアップ!
能楽師 山井 綱雄(やまい つなお)さん

能楽師

山井 綱雄 さん

外国人にも日本人にもわかりやすく世界に誇る日本の能を体験

3月4日に赤坂区民センターで開催されるKissポート講座『能入門 能を通じて日本文化を~観る・識る・体験する~』は、講師による実演と講義で、“観る”“識る”だけでなく、実際に参加者が“体験する”ことで、能の魅力と日本文化に触れていただくワークショップです。英語通訳付きなので外国人の方にもご覧いただけますが、「日本の方もぜひ」という講師の金春(こんぱる)流シテ方能楽師の山井綱雄さんに、その内容と思いを伺いました。

どのような講座ですか?

能は、一般の方にとっては伝統芸能の中でも遠い存在と思われているようで、あまり知られていませんが、私は世界に誇る最高の芸術と自負しております。その魅力をわかりやすく解説し、実際に体験することで身近に感じていただける講座です。
実は2014年に、文化庁長官が任命する平成26年度の文化庁文化交流使に就任して海外を回ってきました。能をご存じの海外の方は、能を高く評価してくださいますが、その分シビアに「あなたは何を伝えに来たのか」と問われます。自分にとって“能を通じて日本の何を伝えるのか”を、強く考えさせられた機会でした。また、海外在住の日本人からは「私たちは客観的に日本や能を見られるが、今の日本人は日本のことを知らなさすぎる。あなたはこれを日本でやるべきだ」と言われました。ですので今回の講座では、文化交流使の活動を通じて明確にしてきた能の特色や日本のことをお伝えします。世界に広めることも大切ですが、日本の方にももっと知って欲しいのです。

海外の方の反応は?

海外では、阿吽(あうん)の呼吸や“空気を読む”といったことが通用しません。東洋と西洋の違いを理解してもらうために、ステージに上がって正座をし、礼をするところから体験してもらいました。中でも好評だったのが、すり足ですね。これが面白いらしくて、ストップと言うまで何往復も歩くんですよ。そして「これにはどんな意味があるのか」と聞かれます。そこで、その意味を、言葉で解説したわけです。

やったことを言葉で説明していただけると、より理解が深まりそうです。

これは能楽師として、私の挑戦でもありました。いわゆる能楽師は、意味を聞かれても言葉では答えられないのです。なぜなら、能の伝統でそうなっているから。師匠も言葉で教えません。能楽だけでなくほかの伝統芸能もそうですが、型を継承することで心はおのずと後からついてくるという考え方。次世代に深い芸術性を伝えるには、いちいち言葉で説明するより、型を徹底的に守らせます。そしていつか謎が解けるように理解できる時がくるというのが、能の世界の教え方であり、言葉で説明することはナンセンスとされていました。しかし、そのことが能の普及を妨げていた面もあり、あえて能楽師の側も意識を変え、意味まで踏み込んで解説することが必要だと考えました。こうしたスタンスで、とかく“わからない”と敬遠されてきた能の魅力、日本文化の素晴らしさを、能楽師自身が語るのです。

たしかに、能とは何か、能の成り立ちにしても、普通の人はあまり知りませんね。

日本の伝統芸能には、歌舞伎もあるし文楽も狂言もある。そうした中、能だけが伝えてきたことは何なのか。今回、能が伝承されてきた理由を考え、行きついたのが“能は祈りである”ということでした。何を祈ってきたかというと「LOVE&PEACE!」(笑)。日本的には「天下太平、五穀豊穣」。これだったんです。
他の流派は世阿弥を初代として、650~700年の歴史ですが、金春流は約1400年前の、聖徳太子の時代の渡来人・秦河勝(はたのかわかつ)が初代です。では、世阿弥の前に何をしていたのか。それは、芸ではなく神事を司っていたんですね。1000年以上も前から、歴代ずっと奈良の春日大社と興福寺の祭で『翁(おきな)』をやって、平和への祈りを捧げてきました。
そして、日本古来のものと大陸から伝えられたもの、宗教まで含むさまざまなものがミックスされて続いていたのを、世阿弥がアレンジして完成させたのが能です。ですから、演目には神様と仏様が一緒に登場することもありますし、最近は、西洋的な曲を使うことだってあります。
今の日本も、そうしたことって普通ですよね。結婚式はチャペル、ハロウィンで仮装して、クリスマスを祝い、除夜の鐘をついて、年が明けると神社に初詣。これが日本人です。他者を認めて良さを吸収し、仲良く共存していく。この傾向は、日本の文化や人々の生活にも大きく影響しているでしょう。今、海外で起きているさまざまな問題や紛争に対して、そうした日本人の生き方や歴史が、ひとつのヒントになるかもしれません。

そんな奥の深い能の世界に入られたきっかけは?

祖父は金春流能楽師・梅村平史朗ですが、私は祖父から教わったこともないし、舞台を見たこともないんです。なにしろ昔気質の人だったので「そんなもので本物の芸が伝わるわけはない」と、録音や撮影が大嫌い。映像資料がありません。祖父の芸は、お弟子さんを通じて学びました。
祖父は私の母の父なので、私は外孫になります。私には兄が2人いますが、2人とも能をやりません。本来なら祖父の長男である母の兄、私にとっての伯父が継ぐはずですが、伯父もやりませんでした。伯父には息子もいましたが、彼らも全員やりません。なぜか、娘の子どもの3番目、一番遠い血縁に位置する私が、能楽師となったのですね。
祖父は「能楽師はもういい。誰も継がなくて良い。」と考えていたそうです。ところが周囲のお弟子さんたちの間では、誰も継がないのはどうだろう、という話になりました。当時の私は3~4歳。この経緯は大人になってから聞きましたが、綱雄くんを跡継ぎに、と私の知らないところで勝手に話していたらしいのです。
病床にふせっていた祖父は、可愛い孫に辛い思いをさせることはない、と大反対。親もそれを聞いて、一回はお断りしたのですが「今ここで決めなくても、大きくなって物心ついてから本人が判断すれば。子役だけでもやらせてみたら」という人がいて、親もそういう考え方もあるなと、引き受けたそうです。
それで、祖父のお弟子さんで、後に私の師匠となる方の舞台に出たのが5歳。それが初舞台でした。その時の私の謡を録音して病床の祖父に聞かせたところ、祖父は「さすが俺の孫だ」と(笑)。実は、嬉しかったんでしょうね…。祖父は私の初舞台の3か月後に他界いたしました。
そして小学校6年生の時、祖父の七回忌追善能で初シテ(主役)『経政』を舞い、そこで、まったく理由はないのですが「能楽師になろう!」と決意しました。「能楽師になって、おじいちゃんを追い越すんだ」と。この時の気持ちは、今もまったく変わらず持ち続けています。

山井さんは、さまざまな芸術家とのコラボレーションも積極的になさっていますね。

過去、将軍や大名は教養を身につける感覚で能をたしなみましたが、今はそういう方々もいません。江戸時代には幕府が能を後援していましたが、明治になって国の援助もなくなり、能は野に下りました。最近は、観客動員数も公演数自体も減っています。そんな状況の中で、本当は能だけをやっていたいのが本音です。
私を“芸術の異種格闘技戦”に駆り立てたのは、ヘヴィメタルバンド「聖飢魔Ⅱ」のデーモン閣下なんですよ。若い頃から私は「聖飢魔Ⅱ」が大好き。2002年、ある番組で、我が親愛なるデーモン閣下と同席させていただき、そこで閣下から「日本の伝統文化は誰かが扉を開かなければ、いずれ行き詰まってしまいます。能の世界では、山井さん、あなたがその扉を開く人だ」と言われたのです。目の前でそう言われてしまったらねぇ(笑)。やるしかないですよね。

伝統の扉はとても重そうですから、開くのは大変なことだと思いますが…。

たしかにそのためには、非常に大きな決断と勇気が必要でした。でも最近は時代が変わって、こうした活動もずいぶん理解されるようになりました。2003年、NHKの番組でギタリストの押尾コータローさんと共演した後、他流派の偉い先生と楽屋でお会いして「テレビで、ギターと一緒に何かやっていたな」と言われて。怒られるのかと緊張しましたが、「面白いことをやっているな。良かったよ」と言っていただきました(笑)。「21世紀の幕開けって、こういうことか」と実感しましたね。

アニメとのコラボもそうした理由でしょうか。

それぐらい突拍子もない切り口も必要ですよね。『能舞エヴァンゲリオン』(※)をやったのも、そうした挑戦のひとつです。表現するにあたって、アニメを全部拝見しましたが、『エヴァンゲリオン』に、能の世界に通じるテーマを見つけたんです。アニメの主人公の男の子はエヴァンゲリオン(エヴァ)に乗って、正体不明の使徒と呼ばれる敵と戦います。途中、エヴァの電源が切れて主人公が危うくなるのですが、突然エヴァが覚醒して獣のようになり使徒を倒す、というシーンがありました。それを見た時、あれは母性だと思ったんですよ。実はエヴァの中には、主人公の母親が取り込まれています。能にも母性というテーマがあるんです。
そこで舞台では、主人公が乗っていたエヴァ初号機のようなオリジナルのマスクをつけ、その下にもうひとつ別のマスクをつけてオーバーマスクのスタイルで登場しました。そして、10代の少年が「俺なんか何やっても上手くいかないし、先ないし、ダメダメ…」みたいなネガティブな心情をせつせつと言う能の『清経』、人生の悲哀を訴える『黒塚』等を引用しました。そして覚醒して敵を倒すと、上のマスクをはずし衣装も脱いで、小面(こおもて/若い女性の面)と白装束の姿に変身。「葉守りの神となりて、千代の影を守らん」と、母親が「あなたをいつまでも守っていますよ」と言うような、母性を表現したのです。

幅広いご活躍をされ、画期的な新作も手がけてこられた山井さんだけに、かつてない講座になりそうですね。

能には、さまざまな日本の文化や芸術が凝縮されています。能を通じて、今も私たちの中に脈々と受け継がれている日本人のDNAを思い出すきっかけやヒントになると思いますので、ぜひいらしてください。

※『能舞エヴァンゲリオン』
社会現象にもなった1995年放送のテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明監督)をモチーフに、さまざまなクリエーターが表現する「EVA AT WORK」の一作品として企画された新作能。

プロフィール

山井 綱雄(やまい つなお)さん

山井 綱雄(やまいつなお)
1973年神奈川県生まれ。
祖父は金春流能楽師・故梅村平史朗。先代79世宗家故金春信高、現80世宗家金春安明、富山禮子に師事。5歳で初舞台、12歳で初シテ(主役)。以来、数々の大曲を披演し、他ジャンル芸術家とのコラボや海外公演多数。文化庁の平成26年度 文化庁文化交流使に就任。