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ジャズ・ヴォーカリスト
ギラ・ジルカ さん
6月24日、赤坂区民センターで開催される『ギラ・ジルカ JAZZ ESSENTIALS』は、圧倒的な歌唱力と楽しいおしゃべりで魅了する人気の歌姫、ギラ・ジルカさんの公演です。音楽との出会いや今回の公演について、ギラさんに伺いました。
私は、父がイスラエル人で母が日本人。“ギラ”はイスラエルの伝統的な名前で、ヘブライ語の「喜び」という意味なんですよ。お祭りや結婚式等で歌われるイスラエル民謡で、ハリー・ベラフォンテも歌ってヒットした『ハバナギラ』という曲がありますが、その“ギラ”から名付けられました。
でもね、小さい頃は日本風な名前に憧れたものです。歌手として活動し始めた頃は、カタカナで男女どちらかもわからない。ゴジラみたいな怪獣を連想されたり、女子プロレスラーやブラジルの大男だと思われたりもしたんですよ(笑)。今では全部、MCネタ(ステージでのトークネタ)ですけどね。
実家は、常に音楽が鳴っている家でした。父は神戸の貿易商でしたが、爆音でクラシックを聞く人。アラビア音楽も流れていて、合間にはハリー・ベラフォンテやサミー・デイヴィスJr.も聞いていました。兄の部屋からは、ビートルズ。ヘビメタや日本のフュージョンもかかっていました。母は舞台女優を目指していた人で、声楽をやっていて歌が上手く、シャンソンが好きだったようです。
その影響というよりも、耳が良かったので、CMの曲等数回聴くとピアノで弾けてしまうような子だったんですよ。あの才能はどこいっちゃったのかしら(笑)。バレエとピアノを習っていましたが反抗的で、ピアノはやめてしまうし、9歳の時には病気で手術してバレエもできなくなりました。長期入院し、退院後も家に引きこもっていたので、人と関わりたいという気持ちが強くなってきたのでしょう。人と一緒に演奏する楽器が弾きたくなったんです。それで小4からアルト・サックスを始めました。ハイスクールではビッグバンドに入り、自然とジャズに触れるようになりました。その後、ボストンのバークリー音楽大学に留学し、そこで歌うことが運命だと感じて、ジャズ・ヴォーカルを学びました。
帰国してからは、結婚、出産、離婚、阪神大震災等いろいろヘビーなこともありましたが、ずっと音楽が好きで、その源にあるのは人と関わりたいという気持ち。小4の時から、それはずっとブレていないんですよ。ひとりではできなくても、ミュージシャンが集まって一緒に演奏し、観客の方々が拍手してくださるステージから、エネルギーをいただいて生きているのだと思います。
そう、人と作りたい、共有したいというのが根底にあります。最近、自己分析をしてわかってきたことなんですけどね。パートナーというか、ミュージシャンが集まって音楽を作ることが、私のビタミン。私の歌を聴いて元気をもらったと言ってくださる方がいますが、私も皆さんからエネルギーをいただいているんです。
よくジャズは“なまもの”と言われますね。CDで聴いた曲を生で聴く楽しみもありますが、それとはまったく違う楽しみを提供できる場です。同じメンバー、同じ内容でも、その日その時、その場所によって、同じ曲でもまったく違ってくるんです。その瞬間を共有しているお客様やメンバーだけの、大切な時間だと思っています。
知り合って一番長いのは、ピアノの深井克則さん。私が東京に出てきた時からだから、もう20年のおつきあいになります。それこそ、結婚、出産、離婚と、私が大変だった時期もすべて知ってらっしゃる方で、その都度、助けてくださいました。音楽的にも、常にチャレンジさせられる人。「ギラだったらできる」と難しい表現、素晴らしいアレンジを出してくださるから。でも、それに応えて歌っていると、自分の表現になるわけですから、すごく育ててくれた方だと思います。
ギターの竹中俊二さんは、2008年に知り合い、2010年のファースト・ソロ・アルバム『all
Me』の制作から、サウンドプロデュースをしてくださっている方です。実は私がヘビーな離婚でどん底だった時、家を出る勇気をくれた音楽仲間に、現在「SOLO-DUO」というデュエットユニットを組んでいる矢幅歩さんという人がいます。その人が紹介してくれたのが、竹中さんだったんです。どん底状態だった私の目標というか、希望の光として、自分の土台を形作る音楽のパートナーとして出会った方です。この竹中さんのおかげで初めて自分のCDを作ることができました。
ベースの中村健吾さんとドラムスの加納樹麻くんは、3枚目のアルバム『Day
Dreaming』に参加してくれた素敵な方々です。中村さんは、ジャズピアニストの小曽根真さんとバンドを組んだり、アメリカで活躍されてきた方で、ニューヨークと日本を行ったり来たりしているのですが、ちょうどタイミングが合って良かったですね。
加納樹麻くんも、ひっぱりだこのドラマー。彼のプレーはナチュラルで力強く、私とも共通点があるんですよ。
実は今、この竹中さんや中村さん、加納くんと『ギラ山ジル子
PROJECT』というのも、やっているんですよ。
『ギラ山ジル子』というのは、先程、子どもの頃に日本風の名前に憧れていたと言いましたが、もしも日本語の名前だったらという話をしていて、竹中さんが命名してくれたんです。もう皆で大笑いしたのですが、次第にその名前が心地良くなってきちゃって。それで音楽的なプロジェクトにしてしまったんです。
そのプロジェクトとは、日本の懐かしい昭和の歌を、竹中さんがジャズにアレンジして、新しい感覚で世界に届けようというものです。
たとえば私たちってボサノバやブラジル音楽を、言葉がわからなくても心地良く、いいね…と聴きますよね。フレンチポップスやイタリア語のオペラも同じ。そんな風に、海外の方がふと耳にして、いい曲だね、良いジャズだけどどこの国の曲だろうと調べたら、日本の昭和歌謡曲だった、みたいな。
そんな風に、海外の方の耳に優しく届いたらいいな、と。そして、昭和の曲を知らない若い世代の日本人にも、新しい感覚で聴いていただけるように。『ReSTYLE』と銘打ってライブをやっていて、この秋にはアルバムにまとめる予定です。『年下の男の子』『不思議なピーチパイ』等、知っている人には懐かしいですし、アレンジも面白いですよ。今回の公演でも『ギラ山ジル子
PROJECT』から1曲、演奏する予定です。
大学で教えるようになったきっかけは、アメリカでジャズクワイヤに入っていたり「ゴスペルクワイヤ」を何年もやっていたので、ジャズコーラスを教えてほしいと声をかけていただいたことです。この4月で、大学で教えるのも10年目になりました。
大学の授業でやっていた内容の一部を、一般の方も参加できるワークショップにして行っています。東横線の学芸大学駅近くの「珈琲美学」というお店で、昼の時間帯に、おひとり15分ずつ歌っていただくものです。たった15分でも、ものすごく歌が変わるんですよ。聴いているだけでも、楽しいと思いますよ。
歌のテクニック以前に、緊張していたらほぐしたり、気持ちをわかってあげることで、解放されたように歌えるようになるんです。私、もともと相手と会った途端、その人のちょっとした不安や心の機微がわかってしまうタチなんですね。なので、それを「わかる、わかる」と言ってあげるだけで、楽になるんじゃないでしょうか。ワークショップが終わると皆、なにかが活性化したみたいな表情になっていて。何回も参加される方もいますし、プロの方もいらっしゃいます。もともと子育て中の若いお母さんをはじめとするすべての女性が、歌うことでエネルギーをチャージして、元気になってくれればいいなと始めたものです。女性が笑顔になると、世界は平和になると思っていますから。
学生のレッスンでも、カウンセリング的なことがあるんですよ。レッスン室のドアを開けた途端に泣き崩れてしまう子もいて、その子たちの話を聞く場でもあるんです。必ずしも歌うことだけがレッスンではないですし。「そういう辛い経験も、やがてはすべてが歌になっていくから」。「私もそうだったよ」と。「今は傷ついているけれど、20年後にはそれが曲になるのよ」と。
生きる上で必要不可欠なものです。ありふれていますが、「歌は人生」と、よく言いますね。今回の公演のタイトルに「ESSENTIAL」とありますが、その意味は「欠くことのできない、必須のもの」ということです。
今回の公演でも歌いますが、私のオリジナル曲で、3枚目のアルバムに収録されている『When The Party's Over』ですね。パーティーが終わる頃という歌で、パーティーとは、人生の楽しい時間や、楽しい生活。そうしたものが次第にフェードアウトしていく、人生の終わりの時間…。そして、聴くと泣く方が多いです。私もこの曲を歌う時は、感情的になりすぎないように、シャンと軸を戻さないと歌えません。この曲を作った時には、とても大事な出来事がありました。自分の曲で感情が動かされたり、考えさせられたり。そんな曲を作ることができたのは、私にとって最高のご褒美なのかもしれません。そんな曲ですから、ずっとずっと歌い続けて、さらにいろいろなものを積み上げ、60歳ぐらいになるともっと説得力が増すかもしれませんね。すごく大切にしている曲です。でもね、この曲は暗いんですよ。そして長い(笑)。最後までじっくり聴いてください。
『ムーンライト セレナーデ』や『ラブ フォー セール』といったお馴染みのスタンダードや、私のオリジナル曲も歌います。ホールなので飲食なし、皆さん前を向いて聴いているという、いつものライブハウスとは一味違うシチュエーションですが、同じ時間を、皆さんと共有できることを楽しみにしていますので、ぜひ、いらしてください。来て良かったと思っていただければ、それが一番の喜びです。
1969年兵庫県生まれ。ハイスクールまでインターナショナル・スクール、大学はボストンのバークリー音楽大学に留学。卒業後は神戸でテレビ出演やラジオDJ、阪神大震災後、東京でライブやCM歌唱、洗足学園音楽大学でジャズ・ヴォーカルの講師も務める。
2013年3枚目のソロ・アルバム『Day Dreaming』をリリース。