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ふれあいコラム

今、話題の人物をクローズアップ!
ギタリスト・ヴォーカリスト 臼田 道成さん

ギタリスト・ヴォーカリスト

臼田 道成 さん

ボサノヴァの名曲を聴いて遠いブラジルに思いを馳せて

リオデジャネイロオリンピックでこの夏、注目のブラジル。7月10日に赤坂区民センターでブラジル音楽のコンサート『臼田道成 ~ブラジルの風』でボサノヴァを聴かせてくださる臼田道成さんに、ボサノヴァの魅力を伺いました。

ブラジル音楽と聞くと、サンバとボサノヴァが思い浮かびますが。

僕は、ボサノヴァをサンバの子どもと呼んでいます。サンバは、例えばカーニバルで演奏されるような、みんなが踊って歌うにぎやかな音楽。静かに弾き語る室内楽みたいなボサノヴァと印象は違いますが、ボサノヴァのベースはサンバのリズム。エッセンスを抽出していくと共通点があるんですよ。
サンバもボサノヴァも海沿いのリオ生まれ。ブラジル全土の音楽ではないんです。内陸ではカントリーミュージックみたいな音楽を、テンガロンハットをかぶった牧童がギターを弾きながら歌うスタイルがポピュラー。サンバは奴隷として連れてこられた黒人たちがリオに定住して生まれた音楽で、ボサノヴァは1950年代の高度経済成長期に、リオで暮らす白人インテリ層が中心になって作り出した特殊な音楽です。そのせいかボサノヴァはジャンルとしては短命で、60年代の軍事政権時代には、演奏家も含めて海外に居場所を求めました。アメリカやヨーロッパ、そして日本に渡って50年以上愛されてきた“リオ生まれの世界音楽”なんです。そんな地域性の強い音楽なので、ブラジルでも知らない人が多いんですよ。

なぜ、日本で人気なのでしょうか。

思うに美学が近いのでしょう。ボサノヴァはすごく繊細で、ハーモニーにちょっとした不協和音を上手く使ったり、声の出し方方も優美に優雅にという方向です。その繊細な揺れの中にドラマを見つける。そういうところが日本人に合うのかもしれません。絵画に例えると水墨画のような、淡い色調の中に美を求め、リズムは横揺れで、左右にゆったり揺れる心地良さがある。日本はストレスが多いので、癒やしを求めているのかもしれません。
不思議なのは、ブラジルは常夏で四季の変化を感じにくい国。でもボサノヴァは、春や秋といった移りゆく詩情も感じさせます。間(ま)を大事にして隙間を埋めない、音を出すべきところで逆に抜く引き算の音楽ですから、日本の芸術に通じるのかもしれません。

ボサノヴァを始めたきっかけを教えてください。

もともと医者になろうと思っていたのですが、民族音楽学者の小泉文夫さんの著書を読んで感動して、跡を継ごうと医学部をやめて東大に入りました。学者を目指していたのですが、その途中、この音楽(ボサノヴァ)を聴いてしまったんですよ。学び、研究するのではなく、自分が演(や)りたい欲求が高まってしまって(笑)。
高校ではバンドをやっていたということもあって、ギターを再び持ちました。ボサノヴァはクラシックギターなので中古を買ってきて、独学で始めたのが20歳の頃。今から31年前ですね。

初めて聴いたボサノヴァの曲は?

今回のコンサートでも演奏する『黒いオルフェ』です。同名の映画で使われた曲で、正式には『カーニバルの朝』というタイトルですが、それがラジオから流れてきて、一瞬で恋に落ちました。最初に買ったレコードは、ボサノヴァの創造者といわれる、僕の心の師匠ジョアン・ジルベルト。もう1枚、『イパネマの娘』を作ったアントニオ・カルロス・ジョビンのアルバムも買って、その2枚をきっかけにどんどんはまってしまいました。当時は、耳コピー。歌詞はポルトガル語ですからテキストを買ってきて勉強し、文化祭で伴奏を知人に頼んで歌ったりしていましたね。東大には入ったけれども、入ってからはほとんど東大ボサノヴァ学科(笑)でした。

独学で一番大変だったのは、どんなことでしょうか。

やはり、リズムですね。日本人が生まれ育つ中では身につけることのないリズムですから。それを20歳過ぎた人間が、体の中に取り込むのは大変です。最終的にはブラジルに行って初めて、本当に身についたと思ってます。

ブラジルにはどのくらい行かれたのですか?

最初は学生時代。3週間の短い旅で、2回目は28歳の時に3ヶ月滞在し、3回目は2003年から5年間リオに住んでいました。
大きかったのが、最初の滞在です。実は僕には、長野県からブラジルに移民した親戚がいるんです。家族から話は聞いていたのですが、日本に働きに来る親戚はいても、日本から訪ねていく親戚は初めて。向こうで親戚がどうなっているかまったくわからなかったのですが、移民してから当時で80年。今だと100年ほどですから、三世、四世という大所帯になっていて、その人たちが集まって僕を歓迎してくれたんです。もう、びっくりでした。大勢の親戚との交流があって、もうひとつの日本がここにあるんだ、と実感しましたね。それで僕とブラジルの関係は、音楽だけではなくなってしまったんです。親戚がいるからできた曲もあるし、たくさんお世話になりました。

日本とブラジルには、そんな関係もあるんですね。今回のコンサートとあわせてブラジルを知る展示も行われていますが、そうしたことを知って曲を聴くと、理解が深まるかもしれませんね。

親戚の移住先は、サンパウロ。日本でいうと、サンパウロは東京で、リオは京都か大阪という感じでしょうか。日本の大企業のほとんどがサンパウロに支社を持っています。昔はリオだったのですが、首都がブラジリアに移って、リオは観光都市になりました。ブラジリアは完全に政治都市。そんな具合に役割分担しています。
リオが京都か大阪というのは、ナポレオン時代に、ポルトガル王室が一時期、避難のため宮廷を置いたことがあったので、リオの人たちは誇り高いんですよ。でも人生にユーモアを忘れない大阪みたいなノリもある。冗談好きな人たちが、海辺で波を見ながらのんびり暮らしている。そうしたリオの風土が、ボサノヴァの重要な要素なのだと思います。

やはり、住むと理解が深まるんですね。

住んでみないとわからないことが、たくさんありましたね。良いところも悪いところも含めて、音楽をやる上でもプラスになりました。なにしろ、暮らしているだけでリズム感が良くなるんですよ。だって、カーニバルが近くなると昼頃には、もうあちこちからサンバが聴こえてくるんです。子ども時代からそれを聞いていれば、踊りが上手くなるのも当然ですよね。
リズムが体に入ったことを意識したのは、住み始めて2~3年経った頃、「音楽が良くなった」「緩くなった」と言われたことです。緩いというのは、力が抜けているという意味なんですが、ブラジル人は、力まない、リラックスしている状態こそが、一番、実力を発揮できると思っているんです。サッカーを見ていても、ブラジルの選手は力が抜けていて柔軟で、次の動作が読めない。フェイントをかけたりするのも、力が入っていてはできないことですよね。

リオでの演奏はどこでしていたのですか?

コパカバーナにBIPBIP(ビッピ・ビッピ)という有名な店があります。小さいけれど毎日そこにいろいろなミュージシャンがやってきてセッションを演っている。僕は毎週水曜日、そこで“ボサノヴァの輪”というイベントをやっていました。僕にとって、大学みたいなところで、4年間たっぷり学ばせてもらいました。ただし、お酒が飲める大学でしたね(笑)。

天国ですね!

僕が2008年8月にリオで発表した『トロバドール』というアルバムも、そこで知り合った仲間と録音したものです。そこでは、ジョアン・ジルベルトのマネージャーとも知り合えたんですよ。彼のおかげで、発表前の『トロバドール』の音源をジョアン・ジルベルトに聴いてもらうことができました。祝辞もいただいて、もう、本当に感動しましたね。ずっとずっとボサノヴァをやってきた自分にとって、筆舌に尽くしがたい喜びでした。

続けてきた思いが繋がったんですね。

面白い出会いだったんですよ。ある時、僕がいつものようにBIPBIPで演奏していたら、パチパチパチと盛大に拍手する面白そうなおじさんが来たんです。その人、演奏が終わってから皆に「俺がジョアンを日本に連れていったんだ」とか言っているのですが、BIPBIPのオーナーは「あれはニセもんだ」とか言っている。ところがよく見ると、その人は、ジョアン・ジルベルトが2003年に日本で初めてコンサートをした時、見た人だったんです。そのコンサートは、ジョアンがステージ上で30分ぐらい固まった(動かない状態でフリーズした)伝説のステージで、そのジョアンに「大丈夫か」と聞いて「大丈夫だよ」とOKサインを出した、当人だったんですね。「あの時、ステージに出てきたのはあなたですね!」「そうだよアミーゴ!」みたいなことになって、意気投合して朝まで飲んで。そんな縁もあって、BIPBIPは僕にとって、本当にかけがえのない場所なんです。

素敵な思い出ですね。では、港区での思い出はなにかありますか?

港区では、南青山MANDALAというライブハウスに、ずいぶん前から出させていただいていました。僕が始めたばかりの頃はブラジル音楽がそんなに知られていない時代でしたが、そこはジャンルを問わないので。ブラジルから5年ぶりに帰国した時も、凱旋ライブをさせていただきました。
それから、青山プラッサ・オンゼ。老舗のブラジリアンレストランで、日本のブラジリアン音楽のメッカです。昔から知っていたのですが、渡伯前は僕なんかまだ早いと思っていました。でも帰国後、ある知人があそこで演ったら、と言ってくれて。それで、オーナーのクラウディアさんを、南青山MANDALAのライブにご招待しました。それで「うちでも」と言っていただいて、2009年から定期的に、青山プラッサ・オンゼでも演らせていただいています。

今回のコンサートはどんな内容ですか?

ボサノヴァの名曲の数々を、ポルトガル語の美しい響きと日本語の歌詞の両方でお届けします。ボサノヴァは歌詞の内容がとても面白いので、説明するより、メロディと一緒に聞いていただきたくて。それからブラジル音楽がボサノヴァ、サンバだけではないというところで、リオの隣州のミナスジェライス州が生んだ世界的アーティストのミルトン・ナシメントの曲も紹介します。
共演の池田雅明さんは、もう20年近くの間柄。トロンボーン奏者としてジャズやボサノヴァを中心に、ジャンルを越えて活躍している優秀な方。ボサノヴァには、トロンボーンも合うんですよ。

最後にメッセージをお願いします。

僕たちの演奏するボサノヴァを通して、日本から一番遠い国・ブラジルを身近に感じていただけたら幸いです。

ありがとうございました!

プロフィール

臼田 道成さん

臼田 道成(うすだみちなり)
1964年生まれ。東京大学文学部美術史学科卒。日本医科大学を中退し東京大学に進学、ブラジル音楽と出会い歌手の道へ。89年、オリジナル曲「風」で第7回AXIAミュージックオーディション準グランプリ獲得。95年ファーストアルバム『風』、2008年セカンドアルバム『トロバドール』をリオで発表。13年にはアルバム『TrovadorⅡ/ プリマヴェーラ』を発表。