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喜多流 シテ方 能楽師 大島 輝久さん

喜多流 シテ方 能楽師

大島 輝久 さん

感性のアンテナを広げて感性のアンテナを広げて

9月27日から行われている『邦楽体験「赤坂能」─謡と仕舞のワークショップ─』の指導をする喜多流シテ方能楽師、大島輝久さん。
12月17日には赤坂区民センターで発表会と本公演があります。能とワークショップについてお話を伺いました。

喜多流について教えてください。

能の世界には、観世流、宝生流、金春流、金剛流、喜多流という「シテ方五流」があります。シテ方とは主に主役を担当するパートで、そのシテ方がワキ方、囃子方、狂言方の「三役」に依頼して舞台を作る、今でいう興行主みたいなものですね。
そのシテ方の喜多流は新しい流派で、江戸時代初期、2代将軍徳川秀忠の時代に作られました。武家社会の中で作られたので、質実剛健な強い型、強い動きが特徴です。喜多流シテ方のひとつ、大島家は私で5代目。広島県福山市を拠点に活動しております。もともと広島県は喜多流が多く、中でも福山市は能が盛んで、明治維新後に能の普及を始めたのが大島家の初代です。
この明治維新は、能の大転機だったんですよ。能楽師は江戸時代まで、武家社会の「お抱え」でした。公的な催しで演能会をやり、普段は武家社会の教養として武士たちに能を教えていたので、将軍や各大名がそれぞれお抱えの能楽師を持っていたんですね。ですのでそれぞれの大名家の場所が、その流儀の地盤になっていることが多いのです。広島県福山市も喜多流がお抱えでした。そうした状態に大転機が訪れたのが、明治維新です。武家社会が崩壊し、後援を失ってしまったんですね。今で言えば会社が倒産、みたいな状況ですが、逆に考えれば、それによって武家専属だった能が、一般に解放されたんですね。能楽師が、一般の人に教えるようになったわけです。
そうした中、うちの祖父は福山で能舞台を建てて、この50年間、定期能をずっとやり続けてきました。来年は250回ですから、何かしたいとも思っていますが、この定期能を始めたときから祖父自身が解説もつけているんですよ。能の会の冒頭、その日の演目についてお話しするスタイルを、50年前に始めたんですね。当時は批判もされたようです。なにしろ能にとって幸せだった時代は、観客のほとんどがお弟子さんで、習っている人たちが見るわけですから、説明はヤボだというような感覚があったんでしょう。しかし、次第にお弟子さんが減ってくると、能を習っていない観客も増えて、解説やワークショップが必要になってきますよね。
学校教育での能体験も、最近では国や自治体が力を入れてくれるようになりましたが、うちは20年以上前から、草の根運動みたいな形でやってきました。小学校や高校で体験すれば、その後、能に触れることがなくても、能をやった感覚や体験はどこかに残るものです。それが、将来の能を支えることに繋がったり、ほかの日本文化や伝統芸能に出会ったとき役にたつと思います。大島家は、そうした種をまき続けることが大切だと考えて、かなり早くからやってきたわけです。

ご家族の皆さんで能に関わっていらっしゃいますが、どんな感じで育ってこられたのですか?

僕は、自宅と能舞台が一体化している家に生まれました。実家には能楽堂が併設されていて、何もわからない頃から舞台に出ていたんですね。初舞台は2歳11ヶ月…、3歳の誕生日前にはもう舞台に立っていたので、それが自然という感覚でしたね。姉の大島衣恵はすごく能が好きで、子ども時代からよくできて、喜多流初の女流能楽師になりましたし、妹たちも能の普及に取り組んでいます。祖父はたいへん熱心に教えてくれましたが、子ども時代の僕は隙があれば逃げようとする子で(笑)。やらされてる感が強かったですね。  ところが18歳になって上京し、本格的に修行するようになると、能は自分が考えていたよりもっとずっと大きなもので、やっていく価値があるということに気がついたんです。それまで教えてくれるのは家の人だし、こちらの心の中にも甘えがあったからでしょうが、初めてほかの先生に習って、携わる舞台が一気に増え、他流儀の舞台も見るようになると、一生懸命やらなければという感覚がでてきたんですよ。受け身だったのが、自分から主体的に取り組むように、劇的に変わったんですね。
そして自分からやり始めてみると、その魅力がよくわかりました。それまでわからないままに頭の中に点在していた能に関する事柄も、一気に繋がっていく感覚があったんです。
たとえば東京に来たばかりだと、駅は多いし道も複雑で全然わかりませんよね。地下鉄に乗って移動して駅の外に出たとしても、東京全体の中での駅と駅との位置関係はまったくわかりません。それが、しばらく住んだり車を運転したりするようになると、渋谷と六本木はこういう位置関係だったのか!ということがわかってきますね。そんな感覚で、わからなかった事柄が次々と繋がっていったんですよ。そして、こんなにも面白いものだったのか、ということを実感したわけです。

家庭環境で育まれた知識や教養が、東京に出たことで、客観的に見えるようになって理解が進んだのかもしれませんね。そこで大島さんが感じた能の面白さとは?

能は、世阿弥が作ってから今まで約650年の間、長い歴史の中でずっと洗練され、無駄なものをそぎ落として伝えられてきた芸能です。ですから、物事の芯だけで見せようとする。装飾をとり払い、シンプル・イズ・ベストを突き詰めようとしているところがあるんですよ。そして人間というものは、ある程度の年齢になると、物事の真理とは何かといったことを考えるようになります。能はそれを追究するものなんです。
能は、世阿弥が作ってから今まで約650年の間、長い歴史の中でずっと洗練され、無駄なものをそぎ落として伝えられてきた芸能です。ですから、物事の芯だけで見せようとする。装飾をとり払い、シンプル・イズ・ベストを突き詰めようとしているところがあるんですよ。そして人間というものは、ある程度の年齢になると、物事の真理とは何かといったことを考えるようになります。能はそれを追究するものなんです。
能にはいろいろな曲目があるし、いろいろな技術もありますが、最終的に迷ったときには、その芯の部分に戻ればなんとかなるというものを能はいつも持っています。それで、能がこれだけ残ったのでしょう。
古(いにしえ)より多数の芸能ができて消えていったと思いますが、能が変わらず残ってきたのは、そうした核心をずっと追い求めてきたからではないかと思います。逆に突き詰めすぎて、現代の複雑な社会では理解されにくくなってしまった、という面もあるでしょう。ですので、現代の能楽師に求められているのは、どうやってそれを今の方々にわかっていただくかということ。それが、私たちの課題ですね。

大島家は、早くからワークショップを行い、そうした理解を広めてこられたわけですが、参加された方々の反応はいかがですか?

年齢層によって違ったりもしますが、小さい子たちは素直ですね。小学生ぐらいだと皆騒ぎたいので、静かにさせるのは大変ですが、いざ教えると何でもできたりするんですよ。人間というのは、大人になるといろいろなものがついてきて、逆に邪魔になるんだな、と思うこともあります(笑)。習い始めると、無駄なことは必要なくて本質的なことだけでよいのだということがわかってもらえるといいのですが。
海外の公演やワークショップもやってきましたが、日本人の大人より外国人のほうが、感覚的な傾向が強いですね。日本人は自分たちの文化なので、理屈でわからないと抵抗感があるのでしょう。思考停止してしまう方が時々いますが、外国の方はわからないのが前提なので、本質をキャッチする感性のアンテナを広げてくれているので伝わりやすい。理論と感性の違いを感じますね。

では、海外でのエピソードを教えてください。

国によっても違いますが、反応が良かったのはヨーロッパが多いですね。7~8年前にフランスで新作能をやったときは、大きな会場で2回公演をやるので、観客が来るか心配だったのですが、本当に大勢の方が来てくださった上、皆さんすごく熱心でした。その後の、北欧のフィンランドとスウェーデンでの公演も印象的でした。最終公演はスウェーデンのオペラハウスのような大きな会場で、支配人は若い女性だったのですが、終わったあとのお疲れさまパーティーで彼女が演目の感想を言ってくれたのです。
そこでの演目は『天鼓』。元は中国のお話で、天才太鼓打ちの天鼓という少年がいました。彼が打つ鼓が素晴らしいので、時の皇帝が鼓をよこせと言いだすんですね。天鼓は自分の鼓を持って山に逃げるのですが、追手に追われ殺されて、その鼓を皇帝のもとに持っていかれてしまいます。それを皇帝の雅楽奏者が打つのですが、誰が打っても全然良い音が鳴らない。どうしたわけだということで、天鼓の父が呼び出され「親なら鳴るかもしれないから打て」と言われる。
能は、この天鼓が死んで父が呼び出されたシーンから始まるのですが、父も絶対殺されると思い、いやいやながら皇帝の前に引きずりだされ、憤懣(ふんまん)やる方ない思いを抱えながらも打ったところ、ものすごく良い音が鳴った。それで皇帝はじめ皆が感動して、自分たちの行いの罪深さを悔いて、天鼓少年を弔う雅楽会を催すことになるのです。すると殺されて水に沈められていた天鼓の霊が浮かび上がり、弔に対する喜びの舞を舞う。そういうお話なんですよ。
その会場の支配人は挨拶で「今日の舞台にすごく感動しました」と語ってくれました。「能は、もう600年以上昔に作られたものなのに、今日見た物語のテーマは、人を許すことの大事さでした。少年は理不尽な理由で殺されても、弔いをしてくれたことに喜び、恨みも言わずに舞を舞う。つまり“許し”がテーマです。今、人類に求められているのはお互いに許し合う心です。能がそうしたテーマを600年以上前から訴え続けていることにも感動しました」と。
すごいことだと思いました。能の名曲と言われるものには必ずそうした主題があるんですよ。その主題は、どんな時代であっても永遠に変わらない、人間が持つ不変の真理です。いつの時代にもある権力者の理不尽、そんなことで殺され不当な扱いを受けて、しかしそれでも人は許す…。そうした『天鼓』のテーマが、国を超え、時代を超えて伝わったわけです。これは我々にとって、とても大きな勇気になりました。能を次の世代に伝承し、皆さんに広めていく意義が十分にあるということを、外国公演で気づかされましたね。

私たちが能を学ぶメリットは?

最近ではバランスボールが流行ったり、体幹トレーニングが良いと言われています。体幹を鍛えて、体の芯で動くとバランスが良くなって、身体のほかの部位の負担が減るんですね。能は極端に言うと、そうした体幹を鍛えることを600年以上やってきました。ようやくトレーニングが能に追いついた、ということかもしれません(笑)。
仕舞の一曲を発表するには、立ち上がって最後に座るまでの全ての動き、型を覚えます。でも実は動きは枝葉で、動かないでいることの方が大事なんですよ。それを理解すると、なぜ能があれだけ少ない動きで物事を表現できるかがわかっていただけるでしょう。
よく「能は動く彫刻」と言われますが、それを先代の喜多流の家元は「コマは一番激しく回っているとき止まって見える。あの状態が能の静止だ」とおっしゃっていました。つまりただ止まっているのではなく、内部はものすごく活発に動いていて、ギリギリのところで立っている。だから動いたときに、巨大なエネルギーになるわけです。姿勢は腰を後ろに引き、上半身を前傾させ、前後に引っ張りあった状態です。アクセルとブレーキを目いっぱい両方踏み込んだ均衡。それが、存在感になるわけです。

能の緊張感はそうしたエネルギーを発しているからなんですね。

そんな理想的な身体の構え方は、ほかのスポーツにも共通していますね。たとえば野球の強打者は構えに無駄がなく、芯に力があっても細部は柔軟だからヒットを打てる。武術もそうで、対峙すると達人かどうかわかります。能も同じで、プロの能楽師は舞いだした瞬間、そのレベルがわかります。ですから突き詰めるべきはその根幹。そうした根源的な魅力を伝えたいと思います。非日常かもしれませんが、能を通してそんな感覚を知ると、日常でも役にたつと思いますよ。

ワークショップや公演でそうした体験ができるわけですね。

どこまでお教えできるかわかりませんが、ワークショップではそうした本質に繋がるようなことを交えながら、実際に体を動かしていただきます。能を見て、能に触れることによって、現代の日常とは違った刺激を感じてください!

プロフィール

大島 輝久さん

大島 輝久(おおしまてるひさ)
1976年広島県生まれ。國學院大學文学部国文学科中退。大島家5代目として祖父久見、父政允(共に国総合認定重要無形文化財)に師事し、3歳「猩々」で初舞台。94年に喜多流・塩津哲生に師事し、東欧公演、台湾公演、北欧公演、ヨーロッパ公演などに参加。2010年より喜多流職分会に参画。14年、国総合認定重要無形文化財となる。喜多流の若手として国内外で活躍。

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