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港区探訪

港区の偉人

第1回 岡本太郎(画家・彫刻家)(1911〜1996)

写真

▲上の写真は港区のどこかで撮影しています。さて、どこでしょう?答えはこちらをクリック

「決意をもって“のり超える”と言いきったとき、 それは既にのり超えられている。」

「ピカソ」(『芸術新潮』1956年3月号より)

絵画、彫刻、文筆、デザイン等を手がける傍ら、縄文土器の美しさに着目した『縄文土器論』を発表する等幅広く活躍。大阪万博(1970年)のシンボル『太陽の塔』や壁画『明日の神話』等、日本芸術史に名高い作品で知られる。

岡本太郎(画家・彫刻家)写真

芸術家一家に誕生
波乱に満ちた幼少期~青年期

岡本太郎は1911年、人気漫画家の岡本一平と歌人であるかの子の長男として生まれました。祖父は書家の岡本可亭(かてい)。太郎幼少期は、父の放蕩、育児より創作活動を優先する母、多くの弟子や書生が出入りする等、特異な家庭環境でした。感受性豊かな子どもであった太郎は、同級生や先生となじめず小学校をたびたび転校しています。18歳の時に父一平がロンドン軍縮会議の取材旅行に行くことになり、一家で渡欧。太郎はロンドンに向かう両親と別れてパリに残り、10年にわたるパリでの暮らしをスタートさせました。

キーワード:たびたびの転校

4校目の慶應義塾幼稚舎で、太郎は位上清という教師と出会います。真面目で厳格でしたが、太郎のよき理解者となりました。

パリでの出会いと前衛芸術家としての活躍

前衛芸術が盛んになっていた1930年代のパリ。太郎は芸術の中心地であったモンパルナスにアトリエを構えました。20世紀を代表する芸術家達と交流を深め、哲学や政治思想からも影響を受けます。戦争の激化とともに帰国した太郎には召集令状が届き、5年間を戦地で過ごします。復員後、停滞していた日本の芸術界を変えるべく、独自のスタイルで前衛芸術運動を開始しました。そして1967年、日本万国博覧会(大阪万博)のテーマ館展示プロデューサーに就任。約2年半をかけて『太陽の塔』を制作します。万博後は、テレビ出演や著作の出版も急増し、大衆に愛される芸術家として一時代を築きました。

『傷ましき腕』(1936年/1949年再制作)

キーワード:パリ

パリでセザンヌやピカソの作品と出会った太郎。その時の衝撃は、「帰りのバスでも涙が止まらないほどだった」といいます。

時代を超えて大衆を魅了する個性豊かな作品群

パリ時代の太郎は、抽象画に傾倒しつつも具体的な質感を大切に表現しています。忍び寄る戦争の影を思わせる、暗い色調の作品も見られます。帰国後は、独自の絵画理論として「対極主義」を提唱。原色をベースとする配色、躍動感のあるフォルムといったスタイルを確立していきました。時には「第五福竜丸事件」や「血のメーデー事件」等を題材に、社会的なメッセージを発信しています。その一方で、縄文土器の新たな美しさを見出し、沖縄の神事からは呪術的なインスピレーションを受ける等自らの感性を磨き続け、作品にも反映していきます。『太陽の塔』には、万博のテーマである「人類の進歩と調和」に真っ向勝負を挑んだ太郎の覚悟が表現されているといえるでしょう。自身の体験や社会的な背景、そして強烈な個性を昇華させた作品は、今も多くの人に愛されています。

『手の椅子』(1967年)・『太陽の塔』(1970年)

キーワード:対極主義

無機・有機、抽象・具象、美・醜といった相対する要素を作品の中に共存させることで、自分の中の二極化した世界を表現しました。

現存するアトリエは息遣いが聞こえる「聖地」

84歳で亡くなるまで太郎が暮らした南青山の自宅兼アトリエは、現在「岡本太郎記念館」として公開されています。ここでは、企画展を行うほか、作品解説をまじえたトークイベントも開催。アトリエも当時のまま残されており、まるで太郎の息遣いが聞こえてくるよう。芸術界に多大な影響を与えた巨匠の自宅では、作品の魅力だけでなく、その生き様も感じることができます。

『燃える人』(1955年・東京国立近代美術館蔵)

偉人の足跡

岡本太郎記念館

昭和29年、建築家で友人の坂倉準三の設計で建てられた、岡本太郎の自宅兼アトリエ。ユーモラスな彫刻作品に囲まれた庭は生命力にあふれています。

港区南青山6-1-19
TEL 03-3406-0801
東京メトロ「表参道」駅8分
ちぃばす 青山ルート「南青山6丁目」すぐ
開館時間 10:00~18:00(最終入館17:30)
休館日 火曜日(祝日の場合は開館)、年末年始(12/28~1/4)および保守点検日
観覧料 一般 620円/小学生 310円

写真

写真の答え!
『生命の樹』(岡本太郎記念館)

『太陽の塔』内部に展示されていた、高さ50mものオブジェ。樹をかたどった本体には下から単細胞生物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類と292体の生物模型が配置されており、生命の進化の歴史を表現しています。(写真は複製)

生命の樹

参考:「もっと知りたい岡本太郎 生涯と作品」(東京美術)「Casa BRUTUS特別編集 新説・あなたの知らない岡本太郎」(マガジンハウス) 「太陽を掴んだ男 岡本太郎」(未知谷)「岡本太郎 『太陽の塔』と最後の闘い」(PHP研究所)