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聖書の和訳を決意した時の言葉
宣教医として幕末に来日し、横浜で近代医学の基礎を築く。聖書の翻訳に取組みながら日本語研究と辞書の編纂にも努め、ヘボン式ローマ字表記法を考案。明治学院創設にあたり初代総理となる。
ヘボン博士といえば、「ヘボン式ローマ字」の考案者として知られていますが、元々はキリスト教を海外へ伝え広める宣教医として来日しました。1815年、アメリカのペンシルバニア州に生まれたヘボンは、幼少期より母の影響で海外への伝道に使命感を持っていました。成人してからは開業医として生計をたてていましたが、米国長老教会の計画に応募し、1841年に妻のクララとともに旅立ちます。しかし、伝道の旅は苦労続きで、渡航先の中国・アモイでは夫婦でマラリアに罹ったため、断腸の思いで帰国の途につきました。
母国へ戻ったヘボンは、ニューヨークでコレラ治療や眼科診療の病院を開業。誠実な人柄と確かな治療で繁盛しますが、帰国後に生まれた子ども3人を病気で亡くし、再び絶望の淵に立たされます。そんな折、日米修好通商条約が締結されたという情報を聞き、ヘボンは再び米国長老教会へ日本への渡航を申請。二週間後に許可がおりると、賑わっていた病院を閉めて訪日しました。日本でも治療の腕前は評判となり、多くの日本人を救いました。さらに夫妻は、日本人への教育活動も始めます。これはのちにヘボン塾と呼ばれるもので、高橋是清や三井物産の初代社長である益田孝らが学びました。
医師として、教育者として功績を残したヘボンでしたが、聖書の日本語訳のための辞書の必要性も感じていました。診療のかたわら語彙の収集と研究に努め、1867年、日本で最初の本格的な和英・英和辞書『和英語林集成』を出版します。この辞書は大変な人気を博し、第三版の出版時には18,000部もの予約が入ったといわれています。この第三版から用いられた「ヘボン式ローマ字」は、日本語を全く知らない人でも英語表記に準じて発音することができ、現代でもパスポートや駅名・地名表記に使われ、社名や店名等にも広く普及しています。
辞書の発行後、聖書翻訳作業に専念するため、ヘボン塾は学校教育の専門家であるバラ夫妻に委ねられ、築地居留地時代を経て1886年、明治学院が誕生します。ヘボンは、辞書版権の譲渡で得た2,000ドルを寄宿舎(ヘボン館)の建築資金として全額寄付。学院の総理に推挙されて日本の教育発展に貢献しました。
77歳(1892年)の時、自らの役割は終えたとして、ヘボンは帰国を決意します。盛大な送別会で送り出され、晩年はアメリカ東部のニュージャージー州に暮らしました。ヘボンが96歳(1911年)でこの世を去ったその日、白金の明治学院ではヘボン館が原因不明の出火で炎上。焼け跡では祈りが捧げられたといいます。
ヘボンの信念“Do for Others”を教育理念として掲げ、キリスト教による人格教育を建学の精神として今も受け継ぎ、社会への貢献をめざしています。
港区白金台1-2-37
TEL 03-5421-5111
東京メトロ南北線・都営地下鉄三田線
「白金台駅」「白金高輪駅」7分
都営地下鉄浅草線「高輪台駅」7分
ホームに自然の光を取り入れられるよう、天井の一部がガラス張りとなっています。連続する縦、横、ななめの直線が都会的な印象です。
協力:(株)ゆりかもめ
参考:「ヘボン博士の愛した日本」(いのちのことば社 フォレストブックス) 協力・資料提供:明治学院歴史資料館