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港区探訪

港区ー祈りの聖地 今昔STORY

第2回 麻布山善福寺

親鸞聖人の像 写真

境内に立つ親鸞聖人の像。親鸞聖人は配流されていた越後から京へ上る途中、善福寺を訪れました。

創建から1200年近い歴史をもつ名刹

麻布山善福寺は、都内では金竜山浅草寺につぐ最古の寺院といわれています。境内には善福寺が日本の歴史と深く関わってきたことを示すスポットが多数あります。

日本で最初のアメリカ公使館となった浄土真宗の寺院

 麻布十番駅を出て、にぎやかなパティオ通りの商店街を抜けると、厳かな空気をまとう麻布山善福寺があります。善福寺は平安時代にあたる824年に弘法大師によって開山されたと伝えられています。もともとは真言宗の寺院でしたが、鎌倉時代に浄土真宗を開いた親鸞聖人が善福寺を訪れた際、当時の住職であった了海がその高徳に胸を打たれ、浄土真宗に改宗されました。1274年には亀山天皇によって勅使寺となり、以来、善福寺の中門は「勅使門」と呼ばれています。徳川将軍家からも手厚い待遇を受け、3代将軍家光からは荘厳な本堂が寄進されました。
 善福寺は日本初となるアメリカ公使館でもあります。幕末の1858年、日米修好通商条約が結ばれると、それまで総領事として下田にいたタウンゼント・ハリスが公使となり善福寺にやってきました。宿館として奥書院や客殿の一部を使用していましたが、攘夷を唱える水戸浪士の焼き討ちにあって書院などが焼失。寺の僧たちが機転をきかせて公使館員を守り、日米友好の絆が深まったそうです。その後は本堂や開山堂も宿館に使われました。
 1945年、大空襲により本堂が全焼したため、現在の本堂は、大阪にある東本願寺八尾別院大信寺の本堂を譲り受け、移築再建したものです。

善福寺本堂 写真

本堂。善福寺への移築を含め、3度もの移築を経てきた珍しい建築物。もともとは東本願寺八尾別院の本堂として徳川家康によって建立されました。

善福寺開山堂 写真

本堂の隣に建つ開山堂には、善福寺を真言宗から浄土真宗へと改宗した了海の木像が安置されているほか、秀吉朱印状など貴重な古文書などが収蔵されています。

ハリスの記念碑 写真

勅使門をくぐった右手には、初代アメリカ公使として善福寺に駐在したハリスの記念碑が建っています。1936年に建てられたもの。

力強い生命力を感じさせる樹齢750年の「逆さイチョウ」

 境内には「逆さイチョウ」と呼ばれる巨木がそびえ立っています。樹齢は推定750年以上、都内では最古にして最大のイチョウで、国の天然記念物に指定されています。根がせり上がり、枝先が下に伸びている様子から「逆さイチョウ」という呼び名がついたといわれ、親鸞が善福寺に立ち寄った記念に持っていた杖を地に差したところから成長したという伝説が残されています。
 境内にはほかにも、慶應義塾大学を創設した福澤諭吉の墓や、往年のスター歌手・越路吹雪の記念碑など、著名人とゆかりの深いスポットがあり、歴史の流れを感じながら見どころを楽しめる寺院です。

逆さイチョウ 写真

逆さイチョウ。太平洋戦争時の大空襲によって本堂が全焼した際、このイチョウも大きな被害を受けましたが、今もなお力強く生き続けています。

善福寺 墓所 写真

墓所には善福寺を菩提寺とする福澤諭吉の墓があります。(写真提供/麻布山善福寺)

越路吹雪の碑 写真

越路吹雪の碑。代表曲「愛の讃歌」の歌詞が刻まれています。

柳の井戸 写真

参道にある「柳の井戸」には、弘法大師が鹿島明神に祈りながら杖を地面に突き刺したところ泉が噴出したという逸話が。現在も地下から清水が湧き出ています。

善福寺の浮世絵

善福寺の境内を描いた江戸時代の浮世絵。中央の階段上にあるのが勅使門です。周囲の景観は様変わりしましたが、勅使門へまっすぐのびる参道は今も変わりません。参道脇には柳の井戸が描かれています。(東都麻布山善福寺境内之図/港区立郷土歴史館所蔵)