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港区探訪

港区ー祈りの聖地 今昔STORY

第6回 愛宕神社

愛宕神社

出世の石段をのぼった先にある社殿。主祭神は「火産霊命(ほむすびのみこと)」という火の神様です。

江戸の昔から街を見守ってきた由緒ある神社

桜の名所としても人気の愛宕神社。江戸時代の趣を今に残しつつも、早くからホームページを立ち上げ、時代に合わせて進化を遂げています。

江戸時代とともに誕生した出世・火伏せを祈る神社

再開発が進み、一段とにぎやかさを増す虎ノ門ヒルズ駅周辺。その一角にありながら、喧騒を離れ、江戸の風情と豊かな緑を残しているのが愛宕神社です。愛宕神社のはじまりは、江戸幕府が開かれた1603年。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、愛宕山(当時は桜田山と呼ばれていました)に戦勝の神として愛宕権現を勧請し、のちに2代将軍秀忠が社殿を整備しました。以降、愛宕権現は江戸の人々から広く信仰を集め、武士にとっては戦勝祈願の神、庶民にとっては火伏せ(防火・鎮火)の神として敬われました。明治期の神仏分離令以降は「愛宕神社」と呼ばれるようになり、現在では火伏せに限らず、出世や縁結びを祈る場所としても知られています。

のぼれば名声が手に入る!?故事から名が付いた「出世の石段」

愛宕神社のシンボルとなっているのが、参道にある急勾配の「出世の石段」。この呼び名は、講談の『寛永三馬術(かんえいさんばじゅつ)』に登場する江戸時代の逸話に由来します。その内容は、3代将軍家光が愛宕山のふもとで「誰か、石段の上にある梅の木を手折ってこい」と命じたところ、曲垣平九郎(まがきへいくろう)という者が、馬で石段をのぼり降りし、家光に梅を献上したことで名声を得たというもの。愛宕神社の境内には、このとき曲垣平九郎が手折ったと伝えられる梅の木が今も残っています。
愛宕神社への参道としては、「出世の石段」別名「男坂」のほかにも、勾配の緩やかな「女坂」や、エレベーターも設置されているので参拝の際もご安心を。また、公式ホームページでは、インターネット上で「おみくじ」や「ヴァーチャル参拝」ができ、外出がためらわれる状況下でも、安心して参拝気分を味わえます。

浮世絵

「出世の石段」を馬に乗って駆け上がる曲垣平九郎を描いた浮世絵(港区立郷土歴史館所蔵)。実際にこの石段を騎馬でのぼり降りできた人は、記録上では7人とされます。直近では、昭和後期の1982年に馬術スタントマンの渡辺隆馬が成功したという記録が残っています。

梅の木 写真

境内には曲垣平九郎が家光に献上した梅の木(将軍梅)が。

出世の石段 写真

勾配のきつい「出世の石段」は86段あります。

勝運御守護 写真

出世の石段が描かれている「勝運御守護」。

末社 写真

社殿の横に並ぶ3つの末社。左から、太郎坊社、福寿稲荷社、恵比寿・大黒天社。

招き石 写真

社殿の手前には、なでると福が身につくという「招き石」が置かれています。

弁財天社 写真

弁財天社も境内にある末社の1つ。

弁財天社 写真

愛宕山は標高25.7メートルで、天然の山としては23区内でもっとも高い山。境内にはそれを証明する三角点が設置されています。

桜田門外の変 写真

愛宕神社は歴史的事件の舞台にもなりました。1860年3月3日、水戸浪士が井伊直弼を襲った桜田門外の変で、浪士の集結場所となったのが愛宕神社でした。(港区立郷土歴史館所蔵)

桜田烈士愛宕山遺蹟碑 写真

境内の「桜田烈士愛宕山遺蹟碑」。「桜田烈士」とは桜田門外の変に参加した浪士たちのこと。

アクセス情報

桜田烈士愛宕山遺蹟碑 写真

住所:港区愛宕1-5-3
・東京メトロ日比谷線「神谷町駅」「虎ノ門ヒルズ駅」より徒歩5分
・東京メトロ銀座線「虎ノ門駅」より徒歩8分
【HP】https://atago-jinja.com/