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港区探訪

港区ー憩いの場 今昔STORY

第2回 三田台公園

第2回 三田台公園

右手にあるのが伊皿子貝塚の貝層の断面。実際の貝層をはぎとり、三田台公園で展示しています。
奥には伊皿子貝塚の貝層の下から発見された縄文時代後期の竪穴住居が再現されています。

港区で発掘された遺跡を身近に感じよう

三田台公園は、縄文時代の貝層断面などが展示されている、ちょっと珍しい公園です。
公園散歩を楽しみつつ、昔の人々の暮らしに思いを馳せてみませんか?

災害時に役立つ設備が充実した港区でただ一つの遺跡公園

三田4丁目の聖坂沿いにある三田台公園は、1978年につくられた港区初にして唯一の遺跡公園です。園内には、伊皿子(いさらご)貝塚遺跡から発見された貝層の断面や、再現した竪穴住居が展示されています。
昨年行われた整備工事では、季節の花を眺めながら散歩できる遊歩道が新設されたほか、災害時にトイレとして使用できるスツールや、かまどになるベンチ、ソーラー照明灯が設置されました。奥には子どもたちがのびのびとスポーツを楽しめるグラウンド広場もあり、子どもから大人まで幅広い世代が気持ちよく過ごせる空間となっています。
歴史を振り返ってみると、この場所には、江戸時代には上野沼田藩土岐氏の下屋敷がありました。明治に入ると宮家である華頂宮(かちょうのみや)邸となりましたが、1924年に博忠王が薨去(こうきょ)したことから華頂宮家は断絶し、やがて敷地の一部が港区立公園に。三田台公園には、華頂宮邸で使われていたと思われる井戸や外壁の一部が、現在も残されています。

縄文時代の人々の暮らしを今に伝える伊皿子貝塚

三田台公園に展示されている貝層断面は、公園から100メートルほど南東の地点(三田4-19)で発掘された伊皿子貝塚遺跡で見つかったものです。この遺跡からは縄文・弥生・古墳・奈良・平安・江戸の各時代の遺構や遺物が、順番に重なり合って発見されました。貝塚は縄文後期(約4000年前)のもので、82種類もの貝類が確認されましたが、約8割はマガキとハイガイでした。当時はこれらの貝が周辺に多く生息し、人々が好んで食べていたであろうことがわかります。また、伊皿子貝塚では動物・魚の骨や道具類の出土が少ないことから、集落の中ではなく、貝を加工する作業場にできた貝塚だと推測されます。
物言わぬ遺構ですが、そのあり様から、はるか昔に生きた人々の様子が浮かび上がってきますね。

竪穴住居

再現された竪穴住居の内部。ガラスの向こうに、当時の人々の暮らしが見えます。ボタンを押すと音声による解説が流れる仕組み。

ウメ、モモ、ツツジ

園内の遊歩道の脇には、ウメ、モモ、ツツジなどの樹木が植えられ、四季に合わせて季節の花が沿道を彩ります。

華頂宮邸の外壁

敷地内には華頂宮邸の外壁が残されています。築年は不明ですが、少なくとも大正以前のものと考えられます。

井戸

華頂宮邸の頃からある井戸。大正時代の関東大震災では大変役に立ったそうです。今も使えますが、生水の飲用は避けて。

解説板

再現された住居跡の脇にたつ土偶風の解説板。

かまどベンチ

災害活動拠点公園に指定されていることから、2020年の整備工事により、かまどベンチやトイレスツールなどが新設されました。

グラウンドスペース

公園の奥には、スポーツをしたり走り回ったりするのに最適なグラウンドスペースが。いつも子どもたちの明るい声であふれています。

アクセス情報

アクセス情報

住所:港区三田4-17-28
京急本線・都営浅草線「泉岳寺」駅徒歩8分
都営三田線・東京メトロ南北線「白金高輪」駅徒歩9分

もうひとつのSTORY

松島屋

創業時

松島屋 創業時

現在

松島屋 現在

三田台公園を出て左手に進み、伊皿子信号を越えたところに、昔ながらの情緒を残した老舗和菓子店「松島屋」があります。松島屋が創業したのは大正時代の1918年。こちらの豆大福は、昭和天皇や、その弟である高松宮宣仁親王にも愛されたそうで、しだいに評判が広がって大人気となりました。東京三大豆大福のひとつに数えられ、午前中に売り切れてしまうことも多いとのこと。店主の気さくな人柄も再訪したくなる理由かもしれません。

住所:港区高輪1-5-25
営業時間:9:30~15:00(売り切れしだい終了)
定休日:日曜、月2回月曜、不定休