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港区探訪

港区‒自慢の宝ものを訪ねて

第23回 外務省外交史料館

外務省外交史料館

新しい常設展示は、ペリー来航をきっかけに開国した日本外交の足跡をたどる内容です。
リニューアルに際し、わかりやすい解説パネルや豆知識満載のコラムが新設されました。

日本の歴史上転機となった重要史料が目の前に

日本の外交に関するさまざまな史料を見たり、調べたりできる「外務省外交史料館」。
この4月、展示室が麻布台ヒルズ内に移転し、リニューアルオープンします!

幕末以降の外交史料を保存・公開

港区麻布台の「外務省外交史料館」をご存じでしょうか? 外国との条約書や外務省の記録文書など、約11万5,000点の史料を所蔵する外務省の施設です。外交史料館には、研究・調査のために史料を利用できる「閲覧室」と、歴史的に特に重要な史料を展示する「展示室」が、これまでは同じ敷地内にありました。そしてこのたび、展示室のみが移転し、4月8日(月) 麻布台ヒルズ 森JPタワー5階にリニューアルオープンします。
新たな展示室では、日本外交の歩みを時系列で紹介。太平洋戦争の降伏文書や、現存する日本最古のパスポートなど、貴重な史料がずらりと並びます。解説パネルやオリジナル動画は見ごたえがあり、その史料が作成される経緯や時代背景がよくわかる構成です。年に数回開催される企画展示では、普段は書庫で厳重に保管されている原本が展示されることも。また、夏休みには小・中学生向けの見学ツアーが行われる予定です。
戦前の外務大臣、石井菊次郎が「書類整備の完否は外交の勝敗を決する」と語ったように、外務省は設立以来、記録の収集・保存を重視してきました。そして戦後、外交史実に対する社会の関心が高まったことから、どなたでも史料を閲覧できるようにと、1971年に外交史料館が開設されました。今回、展示室が麻布台ヒルズ内に移転することで、より気軽に利用しやすくなるのではないでしょうか。ぜひ立ち寄ってみてくださいね。

日米修好通商条約、日米和親条約 批准書、メニュー (左)1858年に調印された「日米修好通商条約」。西洋の条約の批准書には、国璽(こくじ。国家のしるしとして押される印)が収められた蝋缶が付いたものも多くあります。(中)1855年に批准された「日米和親条約 批准書」。(右)1884年、明治天皇の誕生日を祝う晩餐会で各国の外交官にふるまわれたメニュー。西洋料理のフルコースとなっているのは、西洋に匹敵する日本の国力をアピールする狙いがありました。

パスポート、日ソ共同宣言、企画展示室(左)1866年、江戸幕府は留学や商売のための海外渡航を許可しました。写真は現存する日本最古のパスポートで、亀吉という曲芸師のもの。(中)左に写るのは1956年「日ソ共同宣言」、右は1960年「新・日米安全保障条約」。(右)企画展示室には、吉田茂元総理の関係資料や、外交にとって非常に重要な“条約”のプロセス、私たちに身近な“パスポート”に関する展示が(企画展示開催中は展示内容が変わる場合があります)。

外交史料館本館 《外交史料館本館》
閲覧室がある本館は、麻布台ヒルズ森JPタワーに隣接しています。(左上)史料の修復を担当するスタッフ。取材時は展示室移転に向けた収蔵品のコンディションチェックを行っていました。(右上)本館の外観。厳かな佇まいです。(下)閲覧室の様子。検索システムや目録などで見たい史料を探し、受付で閲覧を申し込みます。年度内で初めて閲覧室を利用する場合には、利用申込書(閲覧室で記入可能)の提出と、本人確認証明書の提示が必要です。

広報担当者2人 外交史料館の小高京子さん(左)と三角侑希さん(右)。「当館には教科書に載っているような史料も多くあります。写真ではなく実物を目にすることで新たな気づきがあるはず。展示室のリニューアルオープンを機に、今まで外交史料館を知らなかった方にもお越しいただき、日本の外交活動について知っていただきたいです!」

外務省外交史料館

住所:《本館(閲覧室)》港区麻布台1-5-3
《展示室》港区麻布台1-3-1 麻布台ヒルズ森JPタワー5階
開室時間:《本館(閲覧室)》10:00~17:30(入室は17:00まで)
《展示室》10:00~17:30(入室は17:00まで)
休館日:《本館(閲覧室)》土曜、日曜、祝日、年末年始、臨時休室日
《展示室》日曜、祝日、年末年始(12/28~1/4)
入室料:無料

マップ

外務省外交史料館 こぼれ話

日本の運命を左右する文書にもかかわらず、署名の場所を間違えてしまった……。

1945年9月2日、東京湾上のアメリカ軍艦ミズーリ号で降伏文書の調印式が行われ、太平洋戦争は終結しました。降伏文書の左ページには、「日本軍は無条件で降伏する」「ポツダム宣言を誠実に履行する」など日本が守るべき約束事が書かれています。右ページには日本側とダグラス・マッカーサーはじめ連合国側の代表による署名が並んでいます。
実は、署名をする際にアクシデントが起こりました。写真を見ると署名欄が1か所空白になっていることがわかるでしょう。カナダ代表が記入すべき欄を間違えてしまったのです。そのため、後に続く代表たちも一つずつ欄をずらして署名しました。調印後、「このままではまずい」と考えた日本側は、アメリカのリチャード・K・サザーランド中将に訂正を書き加えてもらいました。訂正者としてサザーランドのイニシャルも記されています。ちなみに降伏文書は日本側と連合国側の2通あり、アメリカで保管されているものは正しく署名されているそうです。もう1通の署名では、誰も間違えなかったのですね。

降伏文書

外務省外交史料館が所蔵する降伏文書(原本)。
展示室でレプリカを展示中です。