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拝殿と幣殿を回廊でつなぐなど、斬新なデザインの社殿。伝統建築の名手として知られる大江 宏氏の設計です。
武士道を体現した乃木将軍ご夫妻を祀る「乃木神社」と、乃木将軍が自ら設計し晩年を過ごした「旧乃木邸」をご紹介します。
明治期に活躍した陸軍大将、乃木希典(まれすけ)。日清・日露戦争に従軍して英雄と称えられ、また学習院長として昭和天皇の養育にも当たった人物です。乃木将軍は、明治天皇が崩御されると、静子夫人とともに自刃を遂げました。
その忠誠心に心を打たれた人々によって創建されたのが、乃木夫妻を祭神として祀る「乃木神社」です。境内は緑豊かで静謐(せいひつ)な空気に包まれており、足を一歩踏み入れれば都心にいることを忘れてしまいそうなほど。神職の方々は「乃木将軍の清廉な人柄を、参拝に訪れた方々に伝えたい」という思いから、毎朝、落葉が1枚もないように丁寧に清掃を行っているのだとか。シンプルかつモダンなつくりの社殿や、乃木将軍に関連する品々が並ぶ宝物殿など、見どころ満載です。
乃木神社の隣には、乃木夫妻が暮らした邸宅が「旧乃木邸」として保存されています。この建物は、乃木将軍がドイツ留学中に見たフランス連隊本部を参考にして自ら設計し、1902年に建てられたもの。当時、将官の邸宅といえば接客を目的とした豪華な建物が多かったのですが、旧乃木邸は外観を黒塗りの板張りにした飾り気のないつくりになっています。質実剛健な気質がしのばれますね。
乃木将軍にまつわるスポットを訪れ、激動の明治時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
乃木神社の大絵馬はフォトスポットとして人気があります。
(左)境内に鎮座する摂社「正松神社」は、乃木将軍が敬慕した玉木文之進と吉田松陰を祀る神社です。
(右)1972年に落雷があった際、銅葺きの本殿ではなく隣のクスノキに雷が落ちたことから“身代わりになった”と考えられました。以来、このクスノキは、雷神が宿り災難を取り除く「雷神木」と呼ばれています。
旧乃木邸のそばに建つ「乃木大将と辻占売少年像」。懸命に家計を支える8歳の少年に乃木将軍が金2円を手渡して励まし、感激した少年は金箔業の世界で実績を残した、という逸話を今に伝えます。
(左上)旧乃木邸は外観のみ見学可能。年3回、邸宅内部が一般公開されます。
(左下)母屋より立派なレンガづくりであるため「新坂の馬屋敷」と称された馬小屋。
(右)窓から邸内の様子をうかがうことができます。
乃木神社の宝物殿。乃木将軍の直筆の遺言書や、乃木夫妻による辞世の和歌などが展示されています。
宝物殿には、殉死の朝、自邸内で撮影された写真も。
神社を案内してくれた西田日向子さん。「参拝を通じて、ご祭神のお人柄を知っていただけたらうれしいです」。
住所:港区赤坂8-11-27
開門時間:6:00~17:00(授与所9:00~17:00)
休業日:年中無休
アクセス:東京メトロ千代田線「乃木坂」駅すぐ
※通常は建物外観、馬小屋、庭園のみ公開。年3回、邸内を一般公開
住所:港区赤坂8-11-32
開放時間:9:00~16:00
休邸日:12/29~翌年1/3
入場料:無料
アクセス:東京メトロ千代田線「乃木坂」駅徒歩2分
「勇猛果敢な軍人」「武士道を全うした将軍」と聞くと、厳格で気難しい人を思い浮かべますが、乃木将軍の人情深さを物語る逸話も数多く残っています。
日露戦争では敵陣を陥落した後、ロシア軍にブドウ酒や鶏、野菜を届けていたわったといいます。
下の写真は日露戦争後に行われた会見時の1枚。通常、敗軍の将に帯剣は許されませんが、明治天皇の「敵将の名誉を重んじるように」という命を守り、乃木将軍はこれを許したのでした。
戦争が終わって帰国後は、多くの部下を戦死させてしまったという自責の念から、遺族と傷病兵を見舞うため全国を行脚し、傷病者の収容施設を提案したり、義手考案・改良も手がけました。
明治天皇大葬の日に乃木将軍が自らこの世を去ったことは、世間に大きな衝撃を与えました。乃木邸の脇を走る坂道は幽霊坂と呼ばれていましたが、その死を悼んで「乃木坂」と改められました。
(左)水師営で行われた日露両将軍による会見の記念撮影写真。乃木将軍は中列の左から2人目。
(右)明治天皇大葬の日の朝に撮影された乃木将軍。